脱出した途端に“覚醒”
こうして脱出し、流転した義昭を迎え入れたのが越前の朝倉義景だった。ただし義景には最初から上洛する気などなく、義昭を手元に置いて外交カードとして使うつもりだったに過ぎない。義昭はここでも「都合よく使われる看板」になりかけていた。
しかし、である。ここで義昭は急転直下に、将軍を目指す男として覚醒していた。
20年近く寺で生きてきた男が、脱出した途端に「そうか、兄上が亡くなったのだから、俺が将軍にならねばなるまい」と、いきなり覚醒しているのだ。しかも迷いがない。逃亡中である。拠点もない。兵もない。金もない。なのに手紙を書いて諸大名を煽るのだ。
周囲はびっくりである。
特に義景は驚いただろう。朝倉氏としては、将軍候補を手元に置いておけば外交カードになる、くらいの打算で引き受けたに過ぎない。上洛する気など最初からなかった。ところが引き取った「お坊さん」が突然「さあ上洛!」とノリノリになっているのだから、たまったものではない。
一方、完全にノリノリだったのが側近の細川藤孝だ。この時期を境に藤孝の発給文書の規模が急拡大しており(谷橋啓太「細川藤孝の動向について」『大正大学大学院研究論集』第40号、2016年)、義昭の手紙外交が一斉に動き出したことが裏付けられる。
義昭を覚醒させた武将「細川藤孝」
そもそも、義昭を「覚醒」させた原因である細川藤孝とは、いったい何者なのか。
戦国時代を通じて「お前はいったい何なんだ」と問い詰めたくなる男が何人かいるが、藤孝はその筆頭格である。
藤孝はもともと13代将軍・足利義輝の側近中の側近だった。ところが永禄の変で義輝が三好三人衆に襲われた際、藤孝は御所に駆けつけている。しかし着いたときにはすでに義輝は討たれた後だった。
さて、忠臣ならばここで殉死するか、仇討ちを誓って慟哭するところだ。
藤孝はそうしなかった。「主君が死んだ。ならば次の将軍を立てるしかない」そう判断した藤孝は即座に動き出し、義昭を見事に救出してみせた。
主君が死んだその日に、もう次の手を打っている。決して忠臣ではない。サバイバル能力に特化した戦国最強の「生き残り屋」である。
なにせ、義輝が死ねば義昭を擁立。義昭が追放されれば信長につき、最後は江戸幕府でも大名として続くことに成功し、現代に至るまで細川家を伝える布石を打ったのだから。忠誠心ではない。組織への奉仕でもない。ただ純粋に、次の時代を読む能力だけで生き延びたのだから。

