勝家がお市の方に残した最期の言葉

これをうけて勝家は、天守の最上階に後退し、敵勢に向かって言葉戦いし、「勝家は只今、切腹するので、敵勢にも心ある者は、前後を鎮めて見物し、私の名を永遠に語り伝えよ」と大声で名乗った、という。

その後、お市の方に語って、「頼りない約束(結婚のこと)のために、夫の手にかかって死去させてしまうことは、とても痛ましく、とても嘆かわしい。これもまた前世のごうによる因果でなくてなんであろうか。けれども自害は武家の習いであり、生者必滅しょうじゃひつめつ会者定離えしゃじょうり、誰がこれを免れることができようか」と語ったという。

黒田基樹『お市の方の生涯 「天下一の美人」と娘たちの知られざる政治権力の実像』(朝日新書)
黒田基樹『お市の方の生涯 「天下一の美人」と娘たちの知られざる政治権力の実像』(朝日新書)

これをうけてお市の方、それに勝家の妾12人、30人余りの女房衆たちは、最期にあたって念仏を唱えはじめた。その光景は、柳の枝が風に揺れるように、桃の花に露がついているようなものであったという。

これにはどれほど邪見(因果の道理を無視する考え)の人であっても、剣をとって殺しにくることはないだろうとして、勝家は一人一人を刺し殺し、そのうえで切腹の様子を見ろ、として、まず左脇に刀を刺して、右の背骨まで切りつけ、返す刀で胸の下からへその下まで切って、内臓を搔きだした。

そして近臣の中村文荷斎ぶんかさいに、首を打つよう命じ、文荷斎によって介錯されたという。そして文荷斎も、切腹し、信頼ある家臣80人余も、互いに刺し違えたり、自害したりして、ついに柴田家は滅亡したのであった。

こうしてお市の方は、最後は勝家に刺し殺されるかたちで、その生涯を終えた。34歳くらいであったとみなされる。

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