戦国大名家に生まれた女性のプライド
またこれは、結婚を契約と認識するものといえるが、それはいわゆる近代の家族制度における結婚観につながるものといってよい。とすればそのような結婚観が、この時期の武家において存在していたことを認識できる。そうであればそのような結婚観が、どのような経緯で成立してきたのか、あらためて追究することが必要であろう。
さらにはお市の方はそこで、女性ではあるが、男性と同様に契約を守ることを主張している、と読み取ることができる。そこには、男性は契約を守るが、女性はその必要はない、とでもするようなジェンダー観の存在をうかがうことができる。これについてもどのような経緯で成立してきたのか、追究していく必要があろう。
それはともかくとして、ここにみえるお市の方の姿から、お市の方は自分の意志を強く持っていた人物であった、ということがわかる。そしてそれは、家父長制社会のなかにあっても、自らが男性に負けるものではないと自負する、気概を認識させる。
戦国大名家・国衆家を担った女性たちには、このような意志の強さ、気概が必要であったのだろうし、それなくしては戦国大名家・国衆家の存続は果たされなかった、と認識することができるように思う。
300人が立て籠もる北庄城に攻撃開始
4月24日の午前3時頃から、秀吉による攻撃が再開された。「柴田合戦記」が記す、そこから勝家の最期までの様子をみていくことにしよう。
秀吉軍に、すぐに城中に攻め入られ、「乙の丸」(二の丸にあたるか)で激しい攻防が展開されたらしい。そして「甲の丸」(本丸にあたろう)にまで攻め寄せてきた。城兵は、大石を重ねて防御を固めた。天守は9重で、石の柱に鉄の扉という構造で重厚なもので、精兵300人が立て籠もった。
秀吉軍は天守によじ登ろうとしても、城兵から弓・鉄炮によって攻撃された。そのため秀吉は、足軽を後退させ、重武装した勇士数百人を選抜し、鑓と打物だけで天守に突入させてきた。

