最後の宴を楽しんだ後、夫婦の語らい
秀吉軍は北庄城を攻囲すると、時間をおかずに攻め立ててきた。「柴田合戦記」によれば、総構はすぐに破られ、城壁から十間・十五間の距離で布陣してきた。城内では軍勢を四方に分けて対抗した。城内から勝家助命の嘆願をし、秀吉にとって「眤近古老」の武将と協議したものの、認められなかったという。そしてすぐに攻めかかってきたという。
勝家は防戦することができず、ついに天守に引き上げた。そして信頼ある家臣80人を呼び集めて、「勝家の運命は明日ときまった。今夜は夜明けまで酒宴・遊興し、名残を惜しもう」と言って、酒宴に騒いだという。しかし夜更けになって、家臣らは酒を飲むのを止めて、退去していったという。
そしてお市の方と勝家も寝室に戻り、最後の語らいをしている。そこで勝家はお市の方に、こう語ったという。
小谷の御方(お市の方)は、勝家妻女たりと雖も、将軍(織田信長)の御一類にして、所縁多し、殊更秀吉は相公(信長)の后孫に至るまで、憐憫相親しからざる者なし、明朝敵陣へ案内し、落ち給わんに、何の妨げかあらんや、その儀に同じ給わば、慥かに送り届くべき由、
(現代語訳)
小谷の御方は、勝家の妻ではあるが、信長の親類なので、所縁のものが多い。とりわけ秀吉は、信長の子孫に対して憐憫し親切にしないわけがない。明朝、敵陣に案内するので、退去することに何の妨げもないだろう。そのことに同意してもらえれば、確実に秀吉のもとに送り届けるつもりである。
お市の方「黄泉までも一緒にと誓った」
ここで勝家は、お市の方に対し、信長の一族であるため所縁のものが多くいるうえ、秀吉は信長の子孫を決して蔑ろにしないはずだからとして、北庄城からの退去を勧めている。そしてお市の方が承知すれば、その手筈をととのえ、確実に秀吉のもとに送り届けることを述べている。これに対してお市の方は、次のように語ったという。
小谷の御方聞き敢えず、泣きくどき、一樹の陰、一河の流れも他生の縁に依る、況んやわれ多年の契りをや、冥途黄泉までも誓いし末、たとい女人たりと雖も、意は男子に劣るべからず、諸共に自害して、同じ蓮台に相対せん事、希うところなり、
(現代語訳)
小谷の御方は聞き入れず、泣きながら語り、「一樹の陰に宿り、一河の流れを汲む事も、皆これ他生の縁ぞかし」(謡曲『小督』の一節で、ある木陰に宿ったり、ある川の水を汲むことも、すべて前世からの因縁による、という意味)という、まして私は、多年の契りを結んで、黄泉までも一緒にと誓った、たとえ女性だからといって、意は男性に劣ることはない、一緒に自害して、同じ蓮台の上に座して向き合うのが願いである。
