「婚家と生死をともにする」という結婚観
お市の方は勝家の勧めを敢然と拒否した。謡曲「小督」の一節を引用し、何事も前世からの因縁であるとし、勝家と結婚したからには、勝家とともに死ぬのが筋であり、私は女性ではあるが、その考えは男性に劣ることはないので、一緒に自害することを主張している。
ここからお市の方に、結婚したからには、婚家が滅亡する際にはそれに殉じる考えがあったことがわかる。
本書で、浅井家滅亡の際に小谷城から退去したことについて、お市の方は「くやしい」という思いを持っていたことに触れたが、それはこの考えから出ていたものであった、と理解できるように思う。
お市の方は、結婚した以上は婚家と生死をともにすべきものであり、それゆえに婚家滅亡の際に実家に戻るのは、自身の意志に反するものであったため、「くやしい」と認識していたのであった。
ちなみにこうした考えについて、現代のドラマや小説では、夫との愛情を持ってくるところであろうが、いうまでもなく戦国時代にそのような考えは存在しない。夫婦の愛情などという観念は、近代社会の産物だからである。
1人目の夫・浅井長政の死で残る後悔
ここでお市の方が拘っているのは、戦国大名家・国衆家における結婚であり、それは国家と国家の外交関係にあたった。お市の方は、婚家と生死をともにすることが結婚したものの責任と認識していたのであろう。
浅井家滅亡の際には、それを果たすことができず、その後は「くやしく」思うことになったので、今回は必ず自分の意志を貫きたい、と考えていたのであった。
このお市の方にみられた結婚観は、当時の戦国大名家・国衆家において、一般的なものであったのかどうか、現在の私に答える準備はない。今後、他の事例に接していくことで、見極めていくことにしたい。しかしそれでも、このお市の方の場合によって、当時、そのような観念が存在していたことを認識できる。
いまだ私がこれまで確認できた事例からの経験的な感覚でしかないが、戦国大名家・国衆家の結婚において、離婚の事例をほとんどみることはできないので、この観念は当時において一般的なものであった可能性は高いように思われる。
しかしその一方で、離婚の事例もないわけではない。そうするとそれはどのような事情が作用したものであったのか、追究の必要性が認識される。そこでの違いは、時代的な変化によるのか、家の階層的な違いによるのか。そうした観点からの追究が必要となるであろう。

