東京大空襲から社殿を護った大イチョウ
もうひとつ注目したいのが大イチョウ。社殿正面の参道脇に一本、その奥にさらに巨大な一本がそびえ立っています。神社HPによれば、幹回り7.5メートル、推定樹齢は400年で、神社が遷座する以前からこの地にあったとのこと。いわば赤坂のヌシですね。
ところが、木の背後に回ってみるとはっと声を失います。
幹(木芯部)のほとんどが焼けて失われているのです。1945年の東京大空襲で被災、焼損した跡だといい、だとすれば、この木はみずから盾となり、身を焼かれながらも、今も建立当時の姿を保つ氷川神社の社殿を護ってきたのでしょう。
社の真下にぽっこり空いた謎の穴
では、境内の東側、二の鳥居からつづく参道の石段を下ってみましょう。
ここでまた風景が一変。より鬱蒼とした木々が日陰をなす一画となります。
左(北)に見えるお社は、近郷の稲荷4社を合祀したことから「四合稲荷」(ご近所だった勝海舟の命名)と呼ばれていますが、問題はその隣、崖沿いに建つ「西行稲荷」の一画です。
そのお社は崖の中腹にあるのですが、注目は、お社の真下にぼっこりと開いた「穴」。
筆者が“穴場”に異常な関心を示す質であることは自覚していますが、これは何でしょう。穴の入口がアーチ状の石組みで補強され、その奥はフェンスで見えなくなっていますが、供物が置かれ、今も祈りの場になっているのがわかります。
穴がこの上に祀られている西行稲荷と一体のものだったかといえばそうでもないようで(西行稲荷は「火伏の稲荷」として信仰されていますが、もとは別の場所に祀られていたらしい)、神社の方に聞いても「昔からあったのか、防空壕などに使われていたのかは不明」とのご回答。
少なくとも、人が入るような大きさではないようです。おそらく、東京の稲荷社でしばしば見られる「狐穴」(神使キツネが出入りしたとされる穴)なのでしょう。上野の「穴稲荷」しかり、小石川・澤蔵主稲荷の「霊窟」や台東区・根津神社の「乙女稲荷」、品川区・品川神社の「阿那稲荷」もしかり。
崖下にぽっかり開いた穴の多くは、稲荷社が祀られ、秘めやかな祈りの場になっています。過去、実際にキツネが出入りしていたこともあったのでしょう。しかしその姿が見られなくなっても、長い間、令和の現在においてもなお祈りの場は維持されてきました。
民間(民俗)の信仰といってしまえばそれまでですが、日本人は「穴」(とその奥に潜む何者か)に惹かれる感性をずっと保ってきました。それは、どこまでさかのぼれるかわからないほど古くからのものだったと思われ、このようなプリミティブな信仰の場が今もそこにあるのは感動的です。
それにしても、穴に寄り添い呵呵大笑する布袋さんの石像はどういうことでしょう。禅問答を仕掛けられたような思いがし、ますます気になります。

