古剣、須恵器、管玉が出土したという証言
社伝によれば、平安時代に東国を遊行していた僧が赤坂一ツ木村で祭神のお告げによりお社を祀ったのがはじまりで、干ばつの折に祈ったところ、たちまち雨が降ったという霊験が伝えられています。
のち江戸時代の中期、紀州徳川家の吉宗公が8代将軍となったことで、屋敷のある赤坂一ツ木の地主神・氷川明神への崇敬が高まり、しかるべき場所に新たな社殿を造営すべく、現在地に遷されました。享保15年(1730)のことです。
社地に選ばれたこの地は、西北―北東に崖をなす高台で、外濠(堀)や溜池を見下ろす場所にあります。さらにさかのぼれば、江戸湾の入り江だったとも考えられます。
そういう場所であれば、もしや……。
想像どおり、ここは東京に残る古墳参考地のひとつでした。『赤坂区史』(1941)には、当時の宮司のこんな談話が載っています。
また、明治の考古学者・野中完一氏は、社殿裏手で管玉や須恵器片を発見し、「当地に古墳の存せしも破壊撹乱されたる結果ならん」と考察しています。
この境内地には何かが眠っているようです。
当社が江戸中期に遷座する以前の情報は皆無ですが、ともあれ古代この地に古墳が築かれ、長い歴史の空白ののち、赤坂の総鎮守を祀る場所としてふたたび選ばれたわけですね。
マニアも絶賛する7対もの狛犬
ほかにも注目のポイントがあります。
狛犬マニアいわく、「東京で狛犬を観るなら赤坂氷川神社」。
なかでも楼門前の1対に注目です。延宝3年(1675)の銘があり、聞くところでは東京で2番目に古い石造狛犬とのこと。ずんぐりしたシルエット、頭頂部が凹んだ古風なスタイルが、マニアを萌えさせてやみません(筆者もですが)。
また特筆すべきは、異なる特徴をもつ狛犬像が7対も揃っていること。上記の江戸前期のものから、江戸後期、明治、大正、昭和と、各時代のデザインを1カ所で見られる(保存状態も良好)のがポイント高しとのこと。

