「まさかここまで広がるとは……」

その後、関東大震災や太平洋戦争を経て、再度会社を立て直したのが3代目・久保田雅彦氏である。1957年(昭和32年)以降、鎌倉が観光地として注目され始めたことが追い風となり、地元銘菓として「豊島屋」の礎を築いた人物だ。「鳩サブレー」の外装に、トレードマークの黄色い缶が採用されたのも、この頃である。

「鳩サブレー」といえば、の黄色い缶
筆者撮影
「鳩サブレー」といえば、の黄色い缶

雅彦氏が説いたのは、「お客様を“お得意様”に、お得意様を“ご贔屓様”に」という考え方だ。1999年より、「これまで以上に愛されるブランドになろう」と「鳩の日」を制定。はじめは、割引価格で通常商品を販売するだけだった。しかし、3年後に当時専務取締役だった現社長の発案で、合わせて鳩モチーフのグッズを発売するようになった。

「携帯電話にストラップをつける時代だったので、根付けの『鳩ぽっぽ』とキーホルダーの『鳩三郎』を作ったんです。目に入ったときに、うちを思い出してくれたらいいなと思って。

でも、地元の人向けに本店だけで販売したので、爆発的に売れるということはなかったんです。キーホルダーはうちの社員もみんなつけてましたけど、私たちもまさかここまで広がるとは、当時は思ってなかったですね」

「鳩三郎」は今や定番商品で、発売以来、数十万個が売れていると言う。

「鳩三郎」。発売当初は、食品サンプルをキーホルダーにしていた
筆者撮影
発売当初は、食品サンプルをキーホルダーにしていた

2006年には新業態の甘味処、「豊島屋菓寮 八十小路(はとこうじ)」をオープン。こうしてお客さんに新たな価値を提供することで、顧客のロイヤルティを高めるマインドが、第二のDNAとして根を張った。

さて、前述した2つのDNAをもとに、現代でバズを生み続けている4代目社長は何を考え、何を実行してきたのだろうか。

開発から130年、守り続けているもの

現社長の久保田陽彦氏は、1987年(昭和62年)に家業に入り、十数年間製造現場を担当していた人物である。

「『鳩サブレー』の焼き窯はいくつかあるんですけど、昔はそれぞれに特徴があったんですよ。表面を触ると大体その日の味がわかったし、『これどっちの窯だな』っていうところまでわかりましたね」

久保田陽彦氏。学生時代から、家業で商いをしたいと考えていたそう
筆者撮影
学生時代から、家業で商いをしたいと考えていたそう

2008年(平成20年)に代表取締役に就任すると、「守るもの」と「変えるもの」のハイブリッドで経営を進めてきた。

まず、これまで「守り続けてきたもの」は、「鳩サブレー」のレシピだ。原材料は「小麦粉・砂糖・バター・鶏卵・膨張剤」とシンプルで、これは約130年前の開発当初から変わっていない。

しかし、これだけのロングセラー商品なら、他のフレーバーや季節ごとの限定品を販売していてもおかしくはないだろう。そこで、「なぜ1種類の味しか作らないのか」と聞くと、「僕の目が黒いうちは、絶対やりません」と即答された。

「他社さんが種類を増やしたり、限定商品を出すケースはたくさん見ますけど、やっぱり本来の味が一番美味しいですよ。今の味を超えるものが作れるならいいんですけど……でも、僕はできないと思う。あの形で、あの大きさで、あの味だから、『鳩サブレー』なんです」

射抜くようなその視線は、並々ならぬ決意を物語っていた。