世界のトップアーティストにも評価された
この生理的な違いこそ、ウォシュレットが日本で成功した決定的な要因の一つだと思います。技術も、デザインも、そして体の構造までもが“文化的に一致”していた。センスとは、技術が文化と自然に交わる瞬間に生まれるものなのです。
日本には古来、“水で清める”という文化があります。神社で手を洗い、口をすすぎ、「穢れを落として心を整える」――。水は単なる物質ではなく、心を整える象徴でした。
だからこそ、「おしりだって、洗ってほしい。」というメッセージは、日本人の感性にすっと馴染んだのかもしれません。
こうして誕生したウォシュレットは、単なる便利な機械ではなく、文化のセンスを具現化したデザインでした。その証拠に、2005年に来日したマドンナは、「ウォシュレットに会いに来たのよ」とコメントしています。世界のトップアーティストが、日本のトイレ文化を“体験すべき価値”として語ったのです。
欧米では「お風呂とトイレは別」ではなく「同じ」。電源がない、硬水でノズルが詰まる――そうした条件を超えてもなお、マドンナのような人が魅力を感じるほどに、日本のウォシュレットは“文化を動かすセンス”をまとっていたのです。
センスとは「動かす力」である
センスとは、派手なデザインのことではありません。それは人の行動を変える小さなきっかけを作る力です。ドイツのトイレにあったピクトグラムが人の想像を動かすように、TOTOのコピーが常識を変えるように、ウォシュレットは清潔の概念を変え、マドンナの発言が世界の意識を変えました。
つまり、センスとは“動かす力”です。人の心を、行動を、そして文化を少しだけ動かす。その半歩の変化を生み出せる人こそが、本当の意味でセンスのある人なのだと思います。
センスとは、単に美的な感覚や言葉の巧みさだけではない。人の行動や判断の“わずかな選択”にこそ、最も深いセンスが宿ることがある。それは、相手の心理を読み、状況を設計する力――つまり、「見せ方」「見せない方」のデザインである。


