NHK「豊臣兄弟!」では、織田信長の“美濃攻略”が始まった。なぜ信長は実績の曖昧な藤吉郎に任せたのか。ルポライターの昼間たかしさんが、文献などを基に史実に迫る――。
織田信長公銅像(清洲公園)
織田信長公銅像(清洲公園)(写真=Bariston/CC-BY-SA-4.0/Wikimedia Commons

“美濃攻略の第一歩”となった鵜沼城

ついに、信長の天下布武への第一歩である美濃攻略が始まった、大河ドラマ「豊臣兄弟!」第5回。藤吉郎(池松壮亮)・小一郎(仲野太賀)が信長から命じられたのは、鵜沼城の攻略だ。

この美濃攻略は、信長が天下布武を唱え全国統一の第一歩となった重要な戦い。

こうして得た岐阜こそが、信長の長らくの拠点になる。そういう背景もあってか、今でも岐阜市民の誇りは信長。攻略されたほうであるにもかかわらず、斎藤道三からの三代は「なんか、そんなヤツもいたな」扱いで、メインは信長。路面電車廃止後、寂寞極まるJR岐阜駅前には金色の信長像が君臨している。現代の岐阜市も、実質は名古屋市の経済圏、衛星都市という状態にある。

そんな美濃攻略の第一歩となった鵜沼城うぬまじょうは、岐阜県各務原かかみがはら市にあった城だ。この城がいかに重要かは、現代の地図でもよくわかる。

木曽川に面した鵜沼城。川を挟んだ対岸は、愛知県犬山市だ。

つまり、木曽川が愛知県と岐阜県の県境になっている。当時で言えば、織田信長の本拠地・尾張国と、敵地・美濃国を隔てる「国境の川」だった。川は幅が広く、流れも速い。そう簡単には渡れない。

信長の“行く手”を阻んでいた

そして鵜沼城は、その川の「向こう側」、敵地側にある城だ。つまり、この城がある限り信長は川を渡って美濃へ侵入することができない。兵士を送り込んでも、城から攻撃されるし、食料や武器を運ぼうとしても、城に邪魔される。

いわば、鵜沼城は、美濃に入るための「入り口」を塞いでいる城だった。逆にいえば、ここを落とせば、川を安全に渡り攻略は格段に容易になる。だから信長は「美濃攻略の第一歩」として、まずこの鵜沼城を落とす必要があった。

そんな重要な作戦を、まだ実績も曖昧な藤吉郎に任せた。これは信長にとっても大きな賭けだった。なぜなら、美濃攻略の趨勢がどうなるかによって、自らの新体制の動向が左右されることになるからだ。

信長が桶狭間の戦い以降に天下統一に乗り出したというのは、あまりにも単純化されたものである。実際には桶狭間以降のほうが信長は危ない橋を渡り始めている。1561(永禄4)年4月には、今川氏の混乱を見て三河に侵攻。その後、岡崎城に復帰した松平元康(後の徳川家康)と和睦し東部国境の安全を確保している。