敵を積極的に取り込んだ信長

同じ年の4月、美濃の斎藤義龍が病死し、幼い龍興が後を継いだ。これが、信長が美濃攻略を本格化させるきっかけとなる。

斎藤龍興の浮世絵。歌川 芳幾画
斎藤龍興の浮世絵。歌川 芳幾画(写真=『太平記英勇傳 斎藤竜興』/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons

ただし、信長には大きな問題があった。信長がまず目指したのは東濃地域(美濃の東部)だったが、その手前にある犬山城が邪魔だった。この城は、斎藤氏に味方する織田一族・織田伊勢守傘下の信清が守っていたのだ。

つまり「身内が敵」という状況だ。信長はこの攻略を進めながら、居城を清洲城から小牧山城へと移転している。