賭けに成功し、美濃攻略の道が開かれた

結果、歴史上明らかなのは、藤吉郎が調略=説得でうまいこと話をつけて大沢次郎左衛門を味方につけた「らしい」ということである。

この調略は、かつての青少年向けの豊臣秀吉本では定番で描かれたエピソードだ。例えば森田草平『豊臣太閤:青少年のために書かれた史談』(成徳書院1944年)では、「既に東美濃が信長についている今、譜代でもないのに義理立てすることはない」と説得するシーンに多くのページを割いている。

もっともこの本、情感たっぷりに説得シーンを描いた後、作者が「果たしてこの通りであったかどうか、私は勿論その場にいたわけではないから知らない」とオチをつけている。

要するに、誰も本当のところは分からない。ただ、明らかなのは、鵜沼城を手に入れたことで信長は救われ、藤吉郎は出世したという事実である。

信長の賭けは成功した。

「ほら見やあ、成果主義でええんだわ!」

成果主義は机上の空論ではなく、実際に機能することが証明された。藤吉郎は侍大将へと出世し、信長の組織改革は軌道に乗り始めた。そして美濃攻略への道も、ついに開かれたのである。

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