余談ですが、僕は東京大学理学部にいた頃、慶応大学法学部の女にフラれ、その悔しさをバネに卒業後、法学部に学士入学しました。当時の僕は法学部の講義の進め方に異様な衝撃を受けたものです。なぜなら、教授が一方的に喋り続け、学生がひたすらノートにとり続けていくことが延々と繰り返されていたからです。
「ああ、日本ではこういう人たちがエリートと呼ばれ出世していくのか」、そう思ったことを覚えています。
あの光景は、2010年に話題になったハーバードのサンデル教授の講義とはあまりにもかけ離れているものでした。彼の授業は学生との対話方式で、そこでは学生はかなりのリスクテークを余儀なくされます。手を挙げて発言する行為自体がそもそもリスクを伴ううえ、間違ったことをいえば、みんなから馬鹿にされるかもしれない。でも、もし成功したら周囲からの評価を得られます。リスクテークが常態化しているこの授業方針は、ベンチャー精神を大切にするアメリカ文化をそのまま象徴しているのかもしれません。
これまでの日本の強みは「均一性」にありました。教育にしろモノづくりにしろ、誰もが均一の能力をもって均一の品質のものをつくれる強み。それはこれまでの日本の発展を見ればうまく機能してきたといえるでしょう。けれどもシステム構築を考える際には、それだけではあまりに不安です。強靭なシステムには多様性が必要であり、そのためには均一的な質を提供できる人材とともに、ときには突出した人材にも活躍してもらわなければなりません。そのような人材が活躍できる柔軟な国家システムをつくるため、今こそ、教育のプロセス、大学入試のあり方、人材採用評価のあり方を見直すべきときではないでしょうか。