東日本大震災から約1週間後、僕はドイツの「シュテルン」という雑誌の取材を受けました。そのときのドイツ人記者が、「有事に強い日本人」に驚いていた姿が印象的でした。マグニチュード9の大地震、それに続く津波による甚大な被害、さらに原発事故も起こっているというのに、日本人はパニックに陥ることもなく、物資を待つ列にも整然と並んでいる。その冷静で秩序だった行動の背景にはどのような精神が潜んでいるのか、彼らはそれを知りたがっていました。
日本人はピンチに強い。このことについて、日本人はもっと自信を持っていいと思います。昔から日本は天災の多い国でした。三陸地方に限らず、江戸時代の東京も地震や大火により市中が何度も焼け落ちている。でもその度に人々は再び立ち上がり街を立て直してきたのです。どんなに人事を尽くして準備しても、それを超える自然災害は必ず起きる。
この感覚は日本人の中にミーム(文化的遺伝子)として組み込まれています。
僕はドイツ人記者にこう説明しました。ドイツのケルン大聖堂は何百年もかけてつくりあげたものだが、それは比較的天災が少ない国だからできることなのだと。同じことは日本にはできない。日本は努力して築きあげたものが天災により一瞬にして破壊される経験をあまりに持ちすぎている。そのような国では、伊勢神宮のように20年ごとに遷宮する感覚がデフォルト(標準、通常の意)になるのだと。
実際、それが我々日本人の弱みでもあり、強みでもあるのです。
震災のあった11年3月11日、思い起こせば国会では菅直人首相が外国人による政治資金問題で追及され、「辞任直前」の窮地に立たされていました。このときまでの日本は、ルールやコンプライアンスに異常に敏感な国でした。小沢一郎氏や鳩山由紀夫氏の政治資金問題しかり、京大のカンニング事件しかり、大相撲の八百長事件しかり。マスメディアはこぞって「ルールに反しているか否か」にこだわってきたのです。僕が「学級委員的精神構造」と呼ぶその風潮は、3月11日を境に一気にリセットされました。