心の平穏を願うのは、何も現代社会の疲れた住人だけではない。古今東西で、多くの試行錯誤がなされてきた。
その中でも、時代を超えて受け継がれてきた手法にはそれ相応の理由があるはず。今回は坐禅、ヨガ、呼吸法の使い手にその手法をご教示いただいた。
土曜の昼、横浜市某所で週1回開かれる臨済宗老師・井上暉堂氏の坐禅会を訪れた。臨済宗では、師匠が与えた公案という逆説に満ちた“口頭試験問題”を、坐禅を組んで全身全霊で考え抜く。通常は1クール約40分だ。
「坐禅は仏教の13宗56派の基本中の基本の形。自分の目標とするものに向かっていくためのケース・メソッドです」と井上氏。メンバーの1人である古書店経営者にその効能を聞くと、「坐禅を始めて約1年経ちます。空手をやっていますが、腹を据えることや冷静な判断力は、後から始めた坐禅から得たと思います」。
あがり症を克服したという広告代理店勤務の男性も言う。
「プレゼンの前などは、坐禅で体得した腹式呼吸をすると“ハラ”ができてくるし、心が整います。立ったまま行う“立禅”を10年やってますが、始めてから2~3年経ったある日、『あれ? 以前の僕とちょっと違うぞ』と自覚でき、自信がつきました。昔の同僚にも『落ち着いたね』と言われました」
井上氏は、「幸福の泉はどこから湧いて出るのか」と皆に問うた。
「人間には苦悩や災難が次から次へと押し寄せる。それらを克服するには、自己を空っぽにし、苦悩や災難に飛び込んで自己と“同一化”するんです」
これが三昧(ざんまい)と呼ばれる仏教の根源であり、真の幸福の泉もここにあるという。三昧に入るための精神統一の力を禅定力(ぜんじょうりょく)と呼ぶが、坐禅は禅定力を強化するための基本的なメソッドだ。苦悩や災難との“同一化”なる論理は難解だが、禅は実践の哲学であり、言葉や論理に縛られることを嫌う。言葉や論理から頭を解放するために、あえて公案という逆説を考え抜くのだ。