※本稿は、齋藤孝『上機嫌の魔法』(三笠書房)の一部を再編集したものです。
いつも「笑顔でいる」ことを心がける
表情が豊かな人は魅力的ですが、感情があまり表に出ないというのも、必ずしも悪いことではありません。中高生でも感情がはっきり大きく動かないという人もいます。でもそれは、感情の起伏が小さく、安定しているということですから、むしろ長所といってもいい。
大人になると、そういういつも感情が一定で安定している人は、つき合っていてラクな面がありますが、十代のころは表情が乏しいと、まわりから「無愛想だなあ」「不機嫌そうだなあ」と思われたり、「何か機嫌を損ねるようなことをしちゃったかな」と気をつかわせたりすることがあるかもしれない。
そういう人は「微笑みは作法である」と心得て、宮沢賢治(1896~1933年)の『雨ニモマケズ』の詩にあるように「いつも静かに笑っている」よう心がけるといいでしょう。
ただ笑っているだけではありませんよ。詩には、「ヨクミキキシワカリ ソシテワスレズ(よく見聞きし分かり、そして忘れず)」とあります。
そのような雰囲気のやわらかさを持てる人は、テンション高めに感情を表現するよりも“上機嫌レベル”は高いと思います。
ちなみに「微笑みは作法である」とは、小泉八雲の名でも知られる作家のラフカディオ・ハーン(1850~1904年)の『日本の面影』(角川ソフィア文庫ほか)という本を読めばわかります。
ラフカディオ・ハーンの心に映じた日本を描いた作品。ハーンはとりわけ自分に向けられる日本人の微笑に幻惑されたようです。本の最後のほうに、「日本人の微笑」という文章があります。
「温かな心根から出る微笑は、家庭で教えられるお辞儀や挨拶と同じように、あらゆる昔流儀の入念で美しい作法の一つである。その微笑は自分の感情よりも、相手に不愉快な思いをさせないための作法である、という意味で教養の一つなのである」
この本を読むと、他者の感情を気づかう、その心のあり方が日本人の教養なのだと、あらためて教えられるような気がします。
「微笑みが作法として身についている」というのは、習慣により養われた日本人の美徳の一つです。
ハーンが見た百三十年あまり前よりずっと前から、日本人が伝統的に受け継いできた教養であり、作法なのです。

