なぜ、凡人が立派なリーダーに変わるか

神戸大学大学院経営学研究科 教授 
三矢 裕氏

私は1995年より「アメーバ経営」の調査・研究をしてきました。当初はこの見慣れない手法をうまく理解できませんでした。しかし、京セラ社内での会議の観察や、社員の方へのインタビューを重ねるうちに、合理的なシステム設計がなされていることに気づきました。特にそれは人材育成という点において、際立った特徴があると思います。

稲盛さんが27歳で京セラを立ち上げた当時、開発、製造、営業のすべてをひとりで経営判断していました。ところが会社の規模が大きくなると手が回らなくなります。このため、自分に代わって経営判断できる人間を育てる必要が生じました。このような要請もあって、同社の創業間もなく考案されたアメーバ経営は、「人材育成」の仕組みでもあります。

まず、どんな人が育成の対象だったかを考えましょう。その頃の京セラは知名度もなく、優秀なエリートが集まる会社ではありませんでした。平凡な能力の人たちができることは限られます。稲盛さんは彼らの潜在能力に目をつけました。どんな社員でも、家に帰れば毎月の給料のなかで家賃を払い、食費を出し、服を買い、貯金までしています。つまり、家であれば立派に経営しています。飛び抜けた能力はないかもしれないけれど、家を経営する能力は誰もが持っています。ただし、家は会社と比べると規模も小さく、やっていることも単純です。では潜在能力を会社で発揮してもらうにはどうしたらいいのでしょうか。そこで、会社を家と同じくらい小さく、単純にすればいいという発想の転換が行われました。以下では、組織と会計の面での工夫を紹介しましょう。

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アメーバ経営の目的は人材育成にあり(PIXTA=写真)

最初の工夫は小さなプロフィットセンター(PC)です。企業ではカンパニー長、事業部長などが特定領域について経営判断を任され、利益責任を負います。大企業では、PCの規模は数百人や数千人といった単位となることもあります。これでは組織サイズが大きすぎて、それらの長が組織を隅々まで把握することは容易ではありません。見えない中で正しい意思決定を下すには相当な能力が必要になります。また、それより下位の組織単位では、製造部門の長はコスト、営業部門の長は売り上げ、というように、責任は限定的で、利益責任までは負いません。つまり、利益を意識して経営判断する人の数は極めて少ないのです。

一方、京セラは、製造工程間での社内売買を行い、売り上げとコストの差で擬似的な利益計算を行うなどの工夫などによって、組織を5~50人のアメーバと呼ばれる小さなPCに分けることができます。小さなPCがたくさん社内に生まれるということは、利益責任を持つリーダーが多数生み出されることを意味します。各アメーバリーダーが持っている能力は小さいかもしれません。しかし、組織サイズを家に近づければ、業務範囲も狭くなります。彼らがもともと持っている経営能力を活かし、会社においても経営判断できるようになります。つまり、これまで埋もれていた、莫大な数の潜在能力が会社の隅々で発動し始めるのです。