ヤマトは創立100周年の19年に向け、「DAN-TOTSU経営計画2019」を策定。国内宅急便シェアを現在の約42%から50%超に伸ばし、「アジア・ナンバーワンの流通・生活支援ソリューションプロバイダー」になる目標を掲げた。その一方の柱が「地域社会に密着した生涯生活支援プラットフォームの確立」だった。山内が話す。
「ヤマトの最大の強みは、6万人のSDが道さえあればどこへでも行くラストワンマイルのネットワークです。少子高齢化の問題を行政だけで解決するには限界がある。そこで、宅急便のネットワークが介在することで多様な当事者がつながり、地域一帯型のサービスが実現する。修理や散髪なども、ヤマトが注文をまとめて地域の業者につなげば収益的に成り立ち、ヤマトも手数料が得られ、新しいビジネスの可能性が開ける。永続するには誰もが利用でき、オールウィンの関係が成り立つプラットフォームが必要で、まごころ宅急便は見事なモデルでした」
ヤマトには「ヤマトは我なり」の社訓がある。社員の誰もが経営者の意識を持ち「全員経営」を追求する。山内は東北の最も顧客に近い現場からの提案に「強い思い」を感じ、「ヤマトのDNAが息づいている」ことに感激したのだった。
大学時代、下宿生活をした山内のもとには、母親から宅急便がよく届いた。中身はスーパーでも買えるものだったが、親の思いが伝わった。宅急便が運ぶのはモノではない。人と人をつなぐ。就職先にヤマト運輸を選んだ。笑顔が印象に残るあの青年ザキも今、宅急便の向こうに、人と人のつながりを見ようとしている。
話はマレーシアに飛ぶ。