西和賀町社会福祉協議会事務局長・高橋純一氏。

個人情報を民間企業に提供するなど従来はタブー。行政の壁を破ることができたのは、「事務局長の高橋さんの力」と話すが、高橋は松本の「情熱」を讃える。

「高齢者の見守り問題を自分たちも解決しなければならない。松本さんの強い思いがなければ、買い物弱者を支援する仕組みは実を結ばなかったでしょう」

半年後、大震災発生。松本は被災地の岩手県大槌町に入る。社協職員が入居する仮設住宅に泊まり込み、仮設と既存の住宅約2000戸を回って台帳づくりから始め、まごころ宅急便を立ち上げた。

「動かずにはいられませんでした」

一方、西和賀では次の段階に進んだ。グループ会社ヤマトコンタクトサービスが運営するコールセンターと連携。登録者宅に「ご用聞き」ボタンがついた端末を設置。夜間でもオペレーターが買い物の注文を受ける。今後は修理や散髪などの要請も地元商店街に取り次ぐ計画だ。まごころ宅急便は釜石、北上と広がり、全国から問い合わせが絶えない。国も関心を示し始めた。松本がいう。

「行政、地元関係者、私たち企業……。これまで高齢化社会を何とかしたいとバラバラで動いていた人たちが、まごころ宅急便を真ん中にしてつながりました」

ヤマトでは各地域での取り組みを、出張してきた経営陣に提案する「エリア戦略ミーティング」という場がある。松本が大槌町での活動をプレゼンしたときのことだ。涙を浮かべて聞く男がいた。ヤマト運輸社長の山内雅喜だった。被災地の惨状を涙ながらに語る姿にもらい泣きしたこともある。もう1つ、山内の胸には、ヤマトの近未来像を具現化する取り組みが現場から上がってきたことへの感慨があった。しかも、松本はパート出身で、正社員になってまだ5年だったのだ。