お笑いコンビ・サンドウィッチマンの2人は東日本大震災の直後に「東北魂義援金」を開設。チャリティーライブなどで寄付を集め、これまでに5億円超を寄付している。また、毎月、テレビ番組の収録を兼ねて東北に帰っている。なぜ2人は震災支援を続けてきたのか。ジャーナリストの鈴木哲夫さんの著書『シン・防災論』(日刊現代)より、インタビューをお届けする――。

あの日は気仙沼でテレビのロケ中だった

私がサンドウィッチマンの二人と知り合ったのは、フジテレビの「バイキング」(2014年~22年放送・司会は坂上忍)という番組だった。

サンドウィッチマンは、今や日本中に笑いを届け、レギュラー番組も多数、そして何といっても好感度が圧倒的ナンバーワンの芸人。伊達みきお氏と富澤たけし氏のコンビだ。

最初はバラエティとしてスタートした「バイキング」は、のちに時事問題をテーマに出演者が意見を交わす番組になったが、二人はレギュラー出演、私は専門家として呼ばれ政治についてあれこれ語り合った。

しかし、彼らにはもう一つの顔があった。それは、2011年3月11日、東日本大震災のあの日から、震災と向き合いずっと寄り添ってきたことだ。その活動は地元での舞台やローカルテレビ局のメディア出演などにとどまらず、義援金や観光誘致など数えきれない。

二人は宮城県出身と宮城県育ち。あの日は気仙沼でテレビのロケ中だった。津波から高台に必死で逃れ命をつないだのだった。わずかの時間差。もしかすると犠牲になっていたかもしれない。

テレビの撮影をするカメラマン
写真=iStock.com/waltkowalski
あの日は気仙沼でテレビのロケ中だった(※写真はイメージです)

「あの臭いがよみがえってくるんですよね」

私が二人にじっくりと話を聞いたのは、震災から10年経った21年の3月。新型コロナ流行期だった。

――地震が発生したあのとき現場にいて、今も鮮明に覚えていることは?

【伊達】臭いですね。僕らはちょうど気仙沼にいて、港に停泊していた船が津波で洗濯機のように巻き込まれていって、ぶつかる凄い音が周りの山に響いて。その音と重油が海の水と混ざったようなあの臭い。

3.11には毎年気仙沼に行ってるんですが、黙禱の午後2時46分にサイレンが鳴ると同時にあの臭いがよみがえってくるんですよね。