原爆投下は「仕方なかった」?
今年4月3日、5月10日の2回にわたって、衆議院外務委員会で、立憲民主党の松原仁議員が「アメリカの原爆投下に抗議せよ、謝罪を求めよ」と上川陽子外務大臣に詰め寄った。アメリカのティム・ウォルバーグ下院議員が「手っ取り早く終わらせるため、長崎や広島のような」爆弾をパレスティナのガザに投下すべきだと発言したことを問題にしたものだ。
これまで日本のマスコミは、自虐史観に基づいて「日本は間違った戦争をしたので、原爆投下は仕方なかった」という論調だった。広島市の平和記念公園にある原爆慰霊碑に刻まれた「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」という碑文と共通するメンタリティだ。
したがって、松原議員のアメリカに「抗議せよ、謝罪せよ」という姿勢は、ある意味、戦後の自虐的史観から一歩踏み出したものと評価できる。とはいえ、私からすると、認識不足で、かつ、要点を押さえていない。
アメリカは「降伏しなかった日本が悪い」
松原議員は、アメリカに謝罪を求めるというが、その理由は、非人道的な兵器の使用を禁じたハーグ陸戦条約に反するからだそうだ。だが、毒ガスなどの非人道的兵器は日本軍も使っている。残虐行為に関しても、アメリカは731部隊の人体実験の資料を、終戦後、いの一番に押収したほどなので、よく知っている。アメリカからすれば「お前が言うか」になってしまう。
また、アメリカ政府の公式見解は、今も昔も、「戦争を終わらせるため、100万人の将兵の命をすくうために原爆を投下した」である。松原議員が「謝罪せよ」といっても、アメリカ側は「100万人の将兵の命を救うためだったのだから仕方ない。早く降伏しなかった日本が悪い」と切り返してくるだろう。
要は、「原爆投下は必要なかった。そうしなくても日本は降伏していた。だから不当だ」とアメリカ側に認めさせない限り、謝罪は得られないのだ。