「原爆投下を警告した」は本当か

ちなみに原爆投下の命令は7月25日に出ている。つまり、宣言の発出の1日前である。これは、日本が国体護持条項のない宣言を拒否することをアメリカ側が確信していなければ、ありえない。

さらに付け加えるならば、トルーマンはスターリンが7月18日にポツダム会談の席で「日本が和平を懇願してきている」と告げたときも、これを議題にしようとはせずスルーしている。議題にしていれば3巨頭が一堂に会していたのだから、そこで原爆投下もソ連の侵略もない和平が成っていたかもしれない。なのにスルーしたということは、やはり原爆を落としたかったということになる。

ヨシフ・スターリン(1943年)
ヨシフ・スターリン(1943年)(写真=U.S. Signal Corps photo./PD US Army/Wikimedia Commons

2つ目の罠は第13条の最後の一文だ。

われわれは日本政府にすべての日本の軍隊の無条件降伏を要求し、このような行為を忠実に実行する適切かつ十分な保証を求める。
これ以外の日本にとっての選択肢は、速やかで完全な破壊である

アメリカ側はこれをもって原爆投下の警告をしたといっている。たしかに、スティムソンはポツダム会談中のトルーマンとの会話のなかで、一貫して宣言を「警告」と呼んでいる。しかし、今日、アメリカがそう主張していると知った上でも、この一文は原爆投下についての警告とは読めない。

日本の首相は気づかず「黙殺」してしまった

実はこれには訳がある。アメリカ側は1945年5月31日の暫定委員会(原子力エネルギーや原爆について協議する委員会)で、工場労働者の住宅があるような地区に、警告なしで、原爆を投下すると決定した。

ところが、ケベック協定第2条「われわれは、互いの同意なしに、それ(原爆)を第3者に対して使用しない」に基づいて、原爆の使用について協議することになったイギリスは、警告してから投下することを要求した。そうすれば、人的被害が少なくなり、また、ハーグ戦争条約にも違反しないからだ。これはイギリス国立公文書館所蔵の「ケベック・メモ文書」から私があらたに明らかにしたことだ。

このため、原爆投下について何か言っているとはとても読めないものの、なにかしら警告めいて聞こえる太字部分が、7月2日になって宣言の最後に加わることになった。アメリカはこの「警告」を7月4日にケベック協定国であるイギリスとカナダの代表に合同方針決定委員会(ケベック協定国で方針を協議する委員会)で示し、了承を得ている。

鈴木首相は、これが原爆投下の警告だとはつゆしらず、罠にはまって「黙殺」してしまった。