3つの鯱が乗る個性的な櫓

第3位は平成16年(2004)に竣工した新発田城(新潟県新発田市)の事実上の天守、三階櫓を挙げる。明治に取り壊されたこの「天守」は、さまざまな角度から撮られた古写真が残り、平面図や寸法が記載された古絵図や古文書も豊富だった。城下町400周年の平成10年(1998)に復元が検討され、伝統工法で史実に忠実に建てる方針が固まった。

新発田城の堀、石垣と復元三階櫓(2020年5月)(写真=Drph17/CC-BY-4.0/Wikimedia Commons

外観は個性豊かで、最上階の屋根は3方向に棟が伸びた「丁」字型の入母屋で、3つの鯱が乗る。また、白漆喰の総塗籠だが、腰壁には平瓦を張った海鼠壁が採用されている。それも初重は平瓦を4段、二重目と三重目は1段貼りつけ、美観が計算されている。

こうした装飾は、オリジナルのプロポーションが再現されてこそ映える。復元にあたっては、古写真から読みとれる形状や寸法比率と復元基本図のあいだに差異がないか、コンピューターグラフィックスを古写真に重ねて確認するなど、精緻な検証がなされた。ただ、本丸跡に自衛隊が駐屯しているため、三階櫓の内部に入れないのが残念なのだが。

令和の改修工事で往時の姿を取り戻した

第2位は戦災で失われた福山城(広島県福山市)としたい。じつは、昭和41年(1966)に竣工した外観復元天守は、当初は「復元」とは呼べないシロモノだった。

すべての窓に巻きつけられていた銅板は省略され、白壁と黒い窓のコントラストは失われた。とくに最上階は、装飾的な華灯窓や開口部の位置から高欄の色まで変えられてしまった。北面の防御力を増すために張られていた鉄板も、すっかり省略されてしまった。

ところが、令和4年(2022)の築城400年に向けて改修工事が進められ、戦前に近い外観を取り戻した。最大の変化は北面に鉄板を張り、最大の特徴をよみがえらせたことだった。福山市内に鉄板の一部が保存されており、小さな鉄板をすき間なく張り合わせていたと判明。再現可能になったのである。

筆者撮影
現在の福山城

白く塗られていた北面以外の窓も、窓枠や格子に銅板が巻かれていた戦前の色彩に近づけられた。最上階の華灯窓も、焼失した天守と同じ位置に移された。最上層の木部が、じつはコンクリートで柱のように造形し彩色しただけであるなど、突っ込みどころはあるものの、意匠を改めただけで印象が大きく変わることに驚かされる。