市民の力と最新技術で完全復元
第1位には解体前の姿がかなり正確にわかり、平成16年(2004)、江戸時代の雄姿が精密に再現された大洲城(愛媛県大洲市)を挙げたい。木造部分が19メートル超という高さなのは、ほかの木造復元天守を圧している。
大洲城は明治初年に廃城になるも、天守は残されていたが、明治20年代以降に解体された。残念だが、長く残されたおかげで古写真が多く残った。木造復元は平成6年(1994)に完成した掛川城天守に触発されたという。同城を設計した宮上茂隆氏に尋ねると、史料に恵まれているので完璧に復元できるといわれ、大洲市は天守閣再建検討委員会を設立し、宮上氏に顧問就任を依頼。市制50周年の平成16年完成をめざして動き出した。
史料としては複数の絵図のほか、木製の模型(天守雛形)もあり、往時の梁組や内部構造も確認できた。加えて外観を伝える複数の写真があった。約13億円の事業費は、市の一般会計予算を1億円ずつ8年間計上。残りは5億2800万円の寄附金でまかなった。
その後、建築基準法による許認可だけで2年を費やし、その間に宮上氏が急逝するなど困難が続いたが、2年半の工期を経て完成。伊予(愛媛県)でいちばんの大河、肱川対岸の比高30メートルほどの丘上に、現存する2基の櫓をしたがえて雄姿を見せている。
内部は、中央に大きな心柱(通し柱)が据えられ、それをめぐるように階段が架けられ、その周囲が一部、吹き抜けになっている。こうした構造は、先述の天守雛形で確認できたものだ。しかし、2階から上は正確な広さや高さがわからなかったため、コンピューターグラフィックスによる解析に古写真を重ね合わせるなどして、寸法が算出された。史料を最新技術で読み解き、精密な復元が実現したのである。