96年に入社し、丸紅の電力事業の変化を身をもって感じてきた小林。常に電力事業の最前線で陣頭指揮を執り続けてきた山添。山添は、決して声を荒らげ、檄を飛ばして部下を引っ張るタイプではない。小林にとって、山添はどんなボールでも受け止めてくれる懐の深い上司だ。

「とにかく話を聞いてくれる。若手の発言を止めたり、遮ったりすることは一切なかったですね。本当に自由に話させて、そこから現実的な仕事になっていく」

丸紅の電力事業が、EPCからIPPへと劇的に変わることができたのも、山添の存在が大きいと、小林は言う。

シンガポールのセノコ発電事業。

山添には、近年、肝を冷やした経験がある。シンガポール最大の電力会社である「セノコ・パワー・リミテッド」の買収を完了し、現地スタッフ関係者一同を招いてのパーテイーも和やかに終了したときのことだ。08年9月15日、すべてが終了し、山添はシンガポールから東京へ飛び立つが、リーマンショックを機中で知ることになる。

東京で山添を待っていたのは、社長からの「このままだと会社を潰すよ。経営会議で説明してよ」という言葉だった。

石橋を何度叩いても、絶対に安全というビジネスはないと、骨身にしみてわかっている。それゆえ、山添は考えうる限りの最善の努力をして、「骨身を惜しむな」と口を酸っぱくして言う。丸紅には、毎年120人から130人の新入社員が入社するというが、ここ数年、新入社員の半数近くが電力を希望することに、山添は、嬉しさを感じている。また、1人でも多くの若手を現場に送り出せると。

食糧の岡田と電力の山添。次の社長レースを制するのはどちらか。それとも別の伏兵が現れるのか。だが、社長が誰になったとしても、丸紅の「現場がすべて」というDNAは、継承され続けるだろう。なぜなら、そのDNAの存在こそが、丸紅たるゆえんなのだから。

(文中敬称略)

(宇佐美雅浩=撮影)
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