02年頃、進むべき道を模索していた岡田に、若林はライバルとして忠告した。

「日本だけに(穀物を)集中投資する時代ではないし、今のやり方はいずれ陳腐化する。タイムチャーターをやるべきだ」

丸紅に転職後、丸紅のビジネスモデルは想像以上に変わったと、若林は言う。

若林は、世界最大の商品取引会社、「グレンコア」の幹部との会食の際に交わされた会話が、忘れられない。

「グレンコアでは、買収後の企業のマネジメントはどのように行っているのか」

と聞いた若林に対して、グレンコアの幹部は、間髪いれずこう答えたという。

「メード・イン・グレンコアの人間を送る」

ガビロン買収を決めたが、丸紅の穀物部隊にグレンコアと同じようなことができるかと問われれば、若林は、今の丸紅にはそこまでの人材の厚みはないと言う。人材に厚みをどうつけるかが、若林に課せられたミッションの1つでもある。

95年入社の穀物部穀物グローバル課長、福田幸司は、天の配剤を感じるときがある。入社1年目、忙しく働く同期の連中とは違って、残業もなく事業会社を管理する部署の仕事に、気持ちが萎えて、退職を考えたこともあった。「ただ働きたい」。福田の将来を慮った上司が、福田に提示したのが、当時の飼料部(現穀物部)だった。未知の部署だったが、ただ“仕事をする”ことが面白く、忙しさが心地よかった。それ以来、福田は穀物の世界に身を置く。

東食時代の若林が、岡田にタイムチャーターを提案したとき、福田は同じ場所にいた。03年の正月、磯子カントリークラブでクラブを握っていたのが岡田、若林、福田の3人だった。「もう(タイムチャーターを)やっちゃえよ、福田」。

若林の声が、今も福田の耳に残る。そして今、福田が率いる穀物グローバル課は、30人ほどの課員が24時間態勢で世界を巡る穀物の動向に目を光らせている。