「馬鹿野郎! 何度聞きに来てるんだ!」

さて、そのときは、ある海外のビッグアーティストが近々来日することになっていました。担当ディレクターから、「この雑誌の取材を受けてほしい」との要望を受けた私は、早速、本国のレコード会社に許可を取るための要望書を作成し、上司に見てもらいました。

ところが上司は、「これではダメだ」と言います。「取材の詳細がほとんど書かれていない。たとえば、この雑誌はどういう媒体なの? それがわからなかったら先方も検討できないでしょう」と。

「たしかにそうだ」と納得した私は、担当ディレクターのところに行って、「かくかくしかじかで、どういう媒体なのか教えてください」とお願いしました。

そこで新たに得た情報を書き込んで上司に見せたのですが、「媒体のことはわかったけど、まだ足りない。取材時間はどれくらい必要なの? あと、その取材を受けることには、どんなプロモーション効果があるのかも伝えないと」と、またダメ出しです。

再び「たしかにそうだ」と納得した私は、またもや担当ディレクターのところに行って、「かくかくしかじかで、これらの詳細をください」とお願いしました。新たな詳細を盛り込んで勇んで上司に見せると、またダメ出しです。

そこでまた「たしかにそうだ」と納得して担当ディレクターのところに行き、さらに上司にダメ出しされ……というのを何往復か繰り返していたら、少し離れたところから、「馬鹿野郎! 何度聞きに来てるんだ!」という怒鳴り声が飛んできました。

声の主は、洋楽部の課長でした。担当ディレクターと自分の上司の間をピンポン玉のように行ったり来たりしている私を見るに見かねて声を上げたのです。

写真=iStock.com/PrathanChorruangsak
※写真はイメージです

ただの「伝書鳩」になっていた

私は困り果てました。上司からは「あの件、どうなった?」と聞かれるし、洋楽部に行けば課長が「もう聞きに来るな」とばかりに怖い顔をしている。両者の板挟みです。

どう切り抜けたのかはよく覚えていないのですが、落ち度は私にありました。何がダメだったのかというと、自分なりに考えていなかったことです。

私は、上司から言われたことをそのまま担当ディレクターに伝え、担当ディレクターから聞いたことをそのまま上司に報告していました。要するに「伝書鳩」のようなことをしていたのです。

平井一夫『仕事を人生の目的にするな』(SBクリエイティブ)

欠けていたのは、その仕事に対する当事者意識です。だから、「Aが足りない」と言われたら「A」だけを確認し、「Bが足りない」と言われたら「B」だけを確認する、という伝言ゲームを繰り返してしまいました。何度も聞きに来られるほうの迷惑も顧みずに……。

洋楽部の課長が思わず声を上げたのも、「こいつ、何も考えていないな」と思ったからでしょう。

もちろん新人がすべてを見通すことはできませんが、それでも、自分なりに考えて行動すべきでした。そうしていれば、A〜Zをすべて一度に把握するのは無理だったとしても、A〜Hくらいまでは自分で確認できたでしょう。

その上で、まだ足りていないところを、上司の指摘を受けて確認する、というのが正しい取り組み方だったのです。

大切なのは「思考の痕跡」が行動に現れるかどうか

言われたことしかやらない、自分で考えている様子が一切感じられない、というのはよくありません。いかに仕事をするか。ここでも問われているのは、やはり仕事に対する姿勢です。

当事者意識があれば必ず、「こうしたらいいかな。確認しよう」「上司はああ言っていたけど、こういう場合はどうなんだろう。聞いてみよう」といった思考が働くはずです。そんな思考の痕跡が行動に現れるかどうかを、周りの人たちは見ているのです。

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