真夏に冬物のセーターを着てニコニコしている父親

初回のカウンセリングから約2年が経過した日に、彼女は次のように話し始めました。

「急に母から電話がかかってきたんです。受話器の向こうでわめいていたので、何を言いたいのかわからなかったんですけど、とにかく父の悪口を言っていました。ここでカウンセリングを受けるようになったおかげで、母とも父とも気持ち的には距離が取れるようになりました。いままでなら、こうして母と電話するたびに汗をかいていたのですが、それがありませんでした。私は冷静になって、

『それじゃ何を言っているのかわからないよ。家に来てほしいの?』と聞くと、『そうよ』って、ねた子どもみたいに返事してきたんです。それで、ずいぶんと久しぶりに実家へ行きました」

ここまで話してから、田中さんは私に見てほしいものがあると言ってスマホを差し出し、動画を再生し始めました。動画には、ゴミ袋・書籍・新聞紙・座布団・洋服・父親の趣味である釣竿……など、たくさんの物に囲まれた中心で、彼女の父親が真夏なのに冬物のセーターを着て、しかも下半身は薄汚れた下着だけを身につけてニコニコしながら座っているのです。

それを彼女の母親が、「お父さんは、なんにもできなくなった! できなくなった!」と騒いでいます。

冷蔵庫には液化した野菜、賞味期限切れの大量のマヨネーズ

動画の中の田中さんが父親に話しかけます。

(お父さん、私だよ、わかる?)
(そんなの、忘れるわけないじゃないの)
(私の名前、言ってみて)
(恭子だよ。昨日、会ったばかりじゃないの。きのう〈昨日〉なのにきょうこ〈恭子〉だよ)
(私の誕生日わかる?)
(親だもん、忘れるわけがないじゃない)
(言ってみて)
(そんなの、言ったって、しょうがないじゃない)

画面の中で父親がはぐらかすように言います。とっさには娘の誕生日が出てこないのでしょう。その傍で彼女の母親は「お父さんは迷子にばかりなる」「もう面倒見きれないから、あんたが引き取ってほしい」などと言っている声も聞こえます。

家の様子はというと、完全なるゴミ屋敷だったと話します。冷蔵庫の中にはドロドロに溶けた野菜や腐った肉、それから大量のマヨネーズ。これは「父が好きだった」らしく、買ったことを忘れて再び買ってしまったのでしょう。賞味期限は3年前のものや5年前のものなどがあり、おそらくはこのころから父親に異変が起きていたのだろうと思われます。

写真=iStock.com/kuppa_rock
※写真はイメージです

部屋が掃除されている気配はなく、床は散乱した衣類などで見えなくなっていたようです。そして父親がいつも過ごしている部屋の周囲には、田中さんが小学生のときに描いて贈った父親の似顔絵が、ネズミの糞にまみれて落ちていたとのことです。

以前からヒステリック気味だった母親に変わりはありませんが、父親のその変貌ぶりに彼女は言葉をなくしてしまったのでした。