施設に入った父は娘のことも忘れてしまった
その後、田中さんのがんばりによって父親は介護施設に入りました。少し話が逸れますが、認知症になると緊張が緩んで、気難しかった人の意外な一面が見えてくることがあります。それは、発症前には抑圧されていた気持ちです。
「施設に会いにいくと父は私のことはもう忘れてしまっていて、職員さんだと思っているんです。だけど会うたびに『こんなに世話してもらってありがたいね、あんたみたいな娘がいたら、親父さんは嬉しいだろうね』って……」
そう言って田中さんは涙を流していました。
ここでは詳しくは述べませんが、親の認知症の発症を機に家族が再構築されていくこともあるのです。
なぜ「ペア」でもゴミ屋敷化は起こってしまうのか
話を戻します。
実は認知症によるゴミ屋敷問題で最後まで難題として残るのは、機能不全家族の主翼を担う人物への対応です。
たしかにゴミ屋敷化した原因は、この事例では父親の認知症の発症でしょう。
しかし、この問題に無関心な人物がいるのです。この事例では母親になりますが、これは高齢の夫婦もしくは兄弟(姉妹)などで暮らしている場合のゴミ屋敷問題にもあてはまります。
その構造としては共通していて《家族運営の中心を司ってきた人物が病気などで生活技能が低下》→《これにより十分な家事ができなくなりゴミ屋敷化》→《しかし周辺家族がこれに無関心》という順で起こります。
テレビで特集されるゴミ屋敷の住人を思い出してみてください。認知症が疑われる人がいる側で、一方的な主張をまくし立てる人物とペアになっている光景が浮かんできませんか。
もちろんこれだけで断言はしませんが、ある時期を境にゴミ屋敷化してしまったような場合には、認知症の方と共感不全の家族成員というペアリングがとても多くあるのです。これは私の精神科病院と福祉事務所での勤務経験が言わせます(そのほかには「軽度」知的発達症のペアなどがありますが、いずれも精神疾患が関係していることが多い)。