斎藤知事はなぜ辞めないのか
斎藤知事は、兵庫県知事選びの流れを止めたとは言うものの、それでも、他の都道府県に照らせば、兵庫県知事の「独特な性格」を受け継いでいる。日本の「高学歴」の代表とされる東京大学を出て、「地方」を統括する総務省を経て、天下りのように兵庫県に舞い降りる。
そんな経歴を持つ人が、どれだけ、真摯に兵庫県を考えているだろうか。
斎藤知事は、たしかに、神戸市須磨区出身であり、自身のウェブサイトにも、地元でケミカルシューズ製造業を営んでいた祖父との思い出を記している。名前の由来が、元兵庫県知事の金井元彦氏だというエピソードは、今回の一連の騒動で、有名になった。
なお、その金井氏もまた、東京大学(東京帝国大学)を卒業し、当時の内務省、すなわち、いまの総務省に入ってから、兵庫県の副知事を経て、県知事になっている。
もちろん、どんな経歴であろうと、その人に何ができるのか、が大切なのは言うまでもない。どこの大学を出ていようと、どの省庁で働いた経験があろうと、副知事であったとしても、県民に奉仕する姿勢と能力があれば良い。
実際、斎藤知事が、前の副知事よりも支持を集めた理由は、それまでの兵庫県知事の「出来レース」を拒否した民意があったに違いない。「県政の刷新」を掲げる若い知事に向けられた期待は大きかった。かたくなと見えるほどに辞任を拒むのは、その選挙の経緯があり、自分は県民に支持されているはずだとの確信があるのだろう。
けれども、その確信こそが、勘違いなのではないか。
期待の大きさの分だけ、失望は深い
斎藤知事は、3年前に当選した時、全国の知事の中で3番目に若く、戦後の兵庫県知事としては歴代最年少だった。推薦した日本維新の会では、大阪府以外で初の知事を生み出したとして、大きな期待を背負っていた。古臭い兵庫県を変えてくれるのではないか、そんな県民の希望を託されていた。
その願いが、今回は、裏目に出ている。副知事経験のなさは、しがらみとは無縁だったものの、かえって、強引な人事に走る元になったのではないか。
そして、東大出身の総務官僚である斎藤知事は、結局、歴代の知事以上に、東京から来た「お殿様」として、ふるまってきたのではないか。だからこそ、「パワハラ」や「おねだり」、といった、さまざまな疑惑が噴出したように見受けられる。
期待の大きさの分だけ、失望もまた同じか、それ以上に深い。
斎藤知事への不満の高まりは、県民の堪忍袋の緒が切れた結果なのである。いい加減、「お殿様」の上から目線に耐え切れなくなったからなのである。
その怒りは、彼が辞めたとしても、もう、収まりはしないだろう。