9月30日、県議会での不信任決議案を受けた兵庫県知事の斎藤元彦氏が失職した。ノンフィクションライターの石戸諭さんは「斎藤氏の問題は、公益通報に対して調査結果が出る前から『うそ八百』だと断定し、“犯人捜し”を行った点にある。メディアの追及に対しても『だが』『しかし』という言葉を使い、責任から逃れ続けていた」という――。
インタビューに答える斎藤元彦氏=2024年9月29日午前、神戸市中央区
写真=時事通信フォト
インタビューに答える斎藤元彦氏=2024年9月29日午前、神戸市中央区

「職を辞すべきほどのことか」という本音

「だが」「しかし」のあとにこそ、取材対象の赤裸々な本音が宿る。特に自身の不祥事については――。

私もニュースの現場で様々な不祥事対応を取材してきたが、失職から知事選再出馬を決めた兵庫県の斎藤元彦知事もまたこの事例に当てはまる。私もスタジオにいたタイミングで、朝日放送の夕方のニュース番組「newsおかえり」に斎藤知事が出演し、横山太一アナウンサーとのインタビューにも応じていたのだが、ここでも目立ったのは逆接だった。

斎藤氏が繰り返していたことを一言でまとめれば「自分にも至らない点があったことは認める。だが、法的な責任が問われるようなことはしていない。したがって職を続けたい」ということに尽きる。9月26日午後3時から始まった記者会見でも、一応の反省を見せた後に、「職を辞すべきほどのことか」という発言に本音が見て取れる。

斎藤知事の問題はある意味ではわかりやすいので、とかく「おねだり」や「パワハラ」事案にスライドしてメディア上で湧き上がって終わってしまう。あんなおねだりがあった可能性が、こんなパワハラがあったという証言が……と問題を広げていった結果、何が大切な問題なのかがわからないままメディア上で盛り上がっていく。大切なのは、重要な問題とはなにかを問うことだ。