兵庫県の斎藤元彦知事がパワハラの疑いなどで告発された問題で、同県議会議員全員が知事に辞職を求める異例の事態となっている。神戸学院大学の鈴木洋仁准教授は「当選当初、『県政の刷新』を掲げる若い知事に向けられた期待は大きかった。斎藤知事がかたくなに辞任を拒むのは、『自分は県民に支持されている』と本気で勘違いしているのではないか」という――。
写真=時事通信フォト
兵庫県の議会調査特別委員会(百条委員会)で証人尋問に応じ、机をたたく様子を再現する同県の斎藤元彦知事=9月6日、神戸市中央区

会見で涙を見せたが、辞職は否定

斎藤知事は、「いつ」辞めるのか。政治をめぐる話題では、自民党総裁選も、立憲民主党代表選も蹴散らして、多くの人の注目を集めている。

9月11日の定例記者会見では、涙を見せたものの、続投する意向を貫いた。なぜ辞めないのか。誰もが疑問に思う。ここまで袋叩きにあいながら、なおも耐え忍ぶメンタルは、強いのか、鈍感なのか。彼自身の性格、あるいは、金銭面を含めた事情にも関心が集まる。

テレビもネットも、「パワハラ」や「おねだり」、といった、さまざまな疑惑を、これでもか、と繰り返し報じている。9月19日には、兵庫県議会に斎藤知事の不信任案が提出される見込みで、もはや、辞める/辞めない、よりも、「いつ」辞めるのかに焦点が移っている。

真相はどうだとしても、少なくとも2人が、この件に関連するとみられる経緯で亡くなっている以上、身を引く以外に選択肢はないだろう。

斎藤知事に、その地位にふさわしい能力や見識があったのか。そう問われれば、ほとんどの人が「否」と答えるだろう。もはや、メディアのおもちゃになってしまった斎藤知事を、いまさらどれだけ責めたところで、益は少ない。擁立した維新の会の責任は免れないし、知事を支えきれず、暴走させた側近たちの罪は重い。

それよりも筆者が興味深く感じるのは、「兵庫県知事の特徴」である。他の都道府県知事と比べたときに明らかになる、その性質が、今回の騒動を招いた一因と考えられるからである。

歴代知事7人中5人が「東大卒・総務省出身者」

戦後、兵庫県知事は、斎藤知事を含めて7人いる。そのうち5人が、東京大学(東京帝国大学)を卒業し、いまの総務省や、その前身の自治省、内務省の出身、というところである。それも、60年以上にわたって、同じような経歴の人物が知事に就任しているのである。国から派遣されてきたキャリア官僚そのままの視線で、兵庫県政にあたろうとしてきたから、いままで、いくつもの齟齬をきたしてきたのではないか。

例えば、29年前、阪神・淡路大震災時の知事・貝原俊民氏を振り返ろう。貝原氏は、佐賀県出身で、東大卒業後、自治省に入り、兵庫県副知事を6年間務めてから、1986年に知事に就く。3期目の途中で起きた震災当日、車で10分ほどの、県庁からおよそ3キロ離れた神戸市中央区の職員公舎から到着まで2時間半もかけた。

当時の読売新聞(1995年2月23日夕刊)は、「電話を何度もかけ直し、やっと県庁とつながった。職員にマイカーで迎えに来てもらい、5階の災害対策本部に入ったのは午前9時。震災発生から3時間余り過ぎていた」と報じている。

スマホはおろか、ケータイもまだ広まっておらず、「危機管理」という言葉も考え方も広まっていない時代なので、割り引く必要はあろう。とはいえ、あの大混乱の最中に、電話をかけまくったり、職員に迎えに来させたりする姿勢は、いかにも、東京から来た、「お殿様」そのものではないか。