放射光施設は世界で鎬を削っている半導体産業や電気自動車などの研究開発には必須の施設だ。半導体ならナノレベルの回路構造の欠陥を探ったり、電池開発では電池内部の化学反応を可視化したりして、性能の向上を高める武器になるからだ。スプリング8とナノテラスができたことで、日本のハイテク素材開発に弾みがつくと期待されている。
「言うは易く行うは難し」の産官学連携
ナノテラスがユニークなのはその運営方法だ。
施設の設置者は国立研究開発法人量子科学技術研究開発機構(QST)であり、それに加えて宮城県、仙台市、東北大学、東北経済連合会、ナノテラスの整備、管理運営などを手がける「光科学イノベーションセンター」、約150の参画企業などが官民地域パートナーシップを結んで、運営している。大学は東北大学だけではなく東京大学など他大学も利用するというオープンなものである。
「産官学の連携」の必要性は長く叫ばれているが、「言うは易く行うは難し」である。ナノテラスのスタートは、なぜスムーズに進んでいるのか。その理由を探るには2011年3月11日の東日本大震災の発生まで時計の針を戻さねばならない。
地震発災後、日本はパニック状態に陥った。津波が町を飲み込む姿がリアルタイムでテレビに映された。3月12日には福島第一原子力発電所の1号機が水素爆発し、3号機が14日、4号機が15日に相次いで水素爆発した。日本や世界がその映像に震えた。
当時、理化学研究所放射光科学総合研究センターの副センター長だった高田昌樹氏も名古屋の自宅で水素爆発の様子を見ていた。高田氏はスプリング8の運営に関わっており、職場は兵庫県佐用町だ。名古屋から職場に戻り「私たち、科学者は今、何に貢献できるのだろうか」とずっと考えた。
次世代放射光施設を東北につくり、施設を中心に産業が集積し、東北の復興に貢献する――。そんなアイデアを高田氏は地震から1週間ほどでペーパーにし、石川哲也センター長に伝えた。スプリング8の専門家とも話し合い、初期の提案書が出来上がったのが4月だった。