孫正義に会った日

左から孫正義、菅野英那(福島県立須賀川桐陽高)、勝又健志(岩手県立金ケ崎高)、佐々木勇士(岩手県立宮古高)、嶋田亮(福島県立須賀川桐陽高)。昨12月6日、ソフトバンク本社にて。(敬称略)

昨12月、9人の「TOMODACHIサマー2012 ソフトバンク・リーダーシップ・プログラム」参加者が上京した。いくつかの偶然が重なり、高校生たちは孫正義に会えるかもしれない——となった。勝又健志さん(岩手県立金ケ崎高2年)が当日の状況を語る。

「でも、最初は、やっぱり会えないということになって。ぼくも諦めて、汐留駅からゆりかもめに乗ってビッグサイトに向かったんです。途中まで行ったら堀田さん(注・ソフトバンク復興支援室で「TOMODACHI〜」を担当する堀田真代さん)から連絡が入って、『孫さんと会えることになった』って。菅野くんたちはもう、ビッグサイトの手前まで着いてたんですけど、そこから戻って来た。ほかのひとたちは、もう会場に着いて受付を済ませて中に入ってたらしくて、無理だとなって」

菅野英那さん(福島県立須賀川桐陽高3年)が語る。

「東京国際展示場正門駅の改札を出てすぐのところで、一緒にいた亮くんの携帯に連絡が入って『なんか堀田さんが、孫さんに会えるかもしれないって言ってたよ』って。じゃあ、急いで戻ろうと」

「亮くん」とは、連載第49回目《http://president.jp/articles/-/8280?page=2》郡山編に登場した、菅野さんと同じ高校に通う嶋田亮さんのことだ。

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ソフトバンク本社と東京ビッグサイトの位置。

勝又「東京国際展示場正門駅の改札出たところで菅野くんたちと合流して、またゆりかもめに乗って汐留まで戻りました」

この時点で、連載第36回目《http://president.jp/articles/-/8215?page=2》宮古編に登場した岩手県立宮古高1年の佐々木勇士さん(彼も経営者志望だ)も合流している。4人の高校生は汐留の駅を降り、37階建ての東京汐留ビル内にあるソフトバンク本社へと向かう。上層階は高級ホテルのコンラッド東京。オフィスフロアはすべてソフトバンクグループが店子だ。4人は堀田さんと合流し、社員食堂で「作戦会議」に入った。ここでの勝又さんと菅野さんの記憶は少し違う。

勝又「みんなで『どういうふうにやろう』って話し合いして、『やっぱり1人、孫さんに話すひとが欲しいね。じゃあ、孫さんと話したいひと』ってなって、嶋田さんは『俺はぜったい嫌だ。話したくない、駄目だよ』って(笑)。佐々木くんも『ぼくはちょっと駄目』みたいなかんじで手を挙げなくて。ぼくと菅野くんが手を挙げて、ジャンケンでぼくが負けて」

菅野「手を挙げたんですけど、勝又くんも手を挙げて。ただ自分はぜったい話したかったので、2人でしばらく手を挙げてたら、堀田さんが『制服着てる人がいいんだよな』みたいなことを言って」

堀田さんは保管していた旗を食堂に持ってきていた。高校生たちが3週間を過ごしたカリフォルニア大学バークレー校——孫の母校の旗だ。

勝又「アメリカにいたとき、みんなで旗に孫さんへのメッセージを書いたんです。やっぱり生徒が渡したほうがいいと考えて、堀田さんがずっと持ってて。旗は堀田さんから食堂でもらいました。1回広げて『懐かしい』とか確認とかしてないです。そんな時間ないです。みんな急いでて。ぼくは上着と荷物をそのまま食堂に置いたままにして、みんなですぐに食堂を出ました」

広報の有山麻季子さんが合流し、一行は社長室がある階へと上がる。行き先は社長室ではなかった。

勝又「客室みたいなところに全員で入ったんです。部屋はすごいシンプルでした。すごい明るい部屋で、日差しが強くて、下はふつうにいい景色だった」

窓からは東京湾が一望でき、眼下は浜離宮の緑が借景となっている。だが高校生たちが景色を楽しむ暇もなく、孫正義が入って来た。

(小さい!)——これが菅野さんの、孫正義への第一印象だ。4人の中の最年少、宮古から来た佐々木さんは、のちに「街中に一人で歩いていても気がつかないような人です」と第一印象を語っている。

勝又「ドアは開いたままでした。1分も経たないうちに孫さんがすぐ現れて。入ってくるスピードはふつうでした」

4人はソファから立ち上がり、お辞儀をし、座り直す。テーブルを挟んで、孫正義の正面に勝又さん、佐々木さん、嶋田さん。角の席に菅野さん。食堂での打ち合わせどおりに菅野さんが話し始めた。

菅野「自分も起業家になりたいと思っている、孫さんを目標にしているんだということを伝えたかった。それと、アメリカに行ったことで、自分の将来に対しての考えも、モチベーションも強まったので、そのことも伝えたいとを考えていました」

勝又「菅野くんはすごく落ち着いていました。自分は孫さんを超えたい、将来の夢は、孫さんを超えるような社長になることだ。旗の『孫さんへ』って描いたすぐ下にぼくのメッセージが書いてあるんで、ぜひ読んでください——と。なんかすごい、準備できてるなあと思って」

菅野「ぼくが話しているとき、孫さんは真剣な顔でした。ときどき『よかったね』と相槌を打つんですけど、それがほんとうに落ち着いたかんじで、心から言ってくれてるような、すごい優しいかんじでした。『(震災という)ほんとうに辛いことがあったけど、でもこうしてアメリカを体験して、ほんとうによかったね』という、しみじみとしたかんじといいますか」

「代表者」菅野さんの発言が終わる。食堂で立てた段取りでは、ここで旗を渡すはずだった。だが、予定は狂った。