「ここに彼は通ってたんだ」

昨12月6日、上京し"ビッグイベント"を終えた高校生たちは東京見物。丸善丸の内本店前にて。

菅野英那さん(福島県立須賀川桐陽高3年)は起業家志望。菅野さんに影響を与えている起業家はだれですか。

「スティーブ・ジョブズです。ものすごい好きで。スタンフォード大学で2005(平成17)年にしたスピーチ、毎朝聞いてるんです。伝記も枕のそばに置いていて。そのぐらい好きです。尊敬している部分ですか? 人間としてのあり方って言ったらいいんですかね。ひどい人なんですけど、たぶん一緒に仕事したくない人なんですけど(笑)。ただ、ものすごい激しさがあって。ただひとつのことをものすごく突き詰めて考えて、人が見ないようなずっと先のビジョンを見ていて、それに向かって行く力がものすごく強い。名言も多くて、その名言1つひとつからジョブズの激しさが伝わってくるようなかんじがして。まさに毎日を最期の日であるかのように生きているような、そういう激しさ」

菅野さん自身は、そこまで激しくなれますか。

「ぜんぜんタイプが違うと思います。タイプは違うんだけど、尊敬しているんです。あともう1人尊敬しているのは孫さんで。孫さんのほうが、自分としては近いのかなと思うんですけど——」

抽象的な質問をします。ジョブズは、パーソナルコンピュータを始めて、かつ、それを終わらせた。簡単に言ってしまえば、ビジネスという道具を使って歴史を変えたわけです。さて、菅野さんは、ビジネスという道具を使って俺は何をした——と言って墓に入りますか。

「そうだなあ……。自分がやったことは、そのままのかたちでは、ずっと先には残らないと思うんですけど、何かしら自分がやったことで、人類を少し前に進めるというか、そういうことをしたいです」

ITを使ったビジネスは世の中に多くありますが、「こういうことはしたくない」というものはありますか。

「ああ、はい、あります。たとえばFacebookでやってることって、ただ面白いことを与えるだけじゃなくて、ひとの社会に対するつながりかたを変え、人をより高いところに引き上げるという意味でいいことだと思うんですけど、たとえば、ソーシャルゲームとかは……。前、CMでやってましたよね。『金はない、時間はある』って。ああいうのはぜったい自分はやりたくない」

でもGREEやモバゲーのように広く小銭を集める商売は、お金儲かると思いますけど。

「自分は金を儲けたくてビジネスと言ってるのではなくて——ビジネスということばを言うと、お金が第一って感じなんですけど、そうじゃなくて——事業って言ったらいいのかな、何かをしたくて、お金はそのための手段だと思ってるんです」

このことを確認しておきます。「TOMODACHI~」で合州国に3週間行って、菅野さんはシリコンバレーで働く人たちに会いました。それが起業のきっかけではなく、その前から考えていたということですね。

「自分の考えがより強化されたという思いは、すごくあります。自分はこれからそういう道に進んでいくと思うんですけど、そのための最初の大きな学びとしてアメリカに行ったんです」

合州国での3週間、いちばん嬉しかったことは何ですか。

「アップルを見たことですね。シリコンバレーをバスで通っただけなんですけど。もう涙が出そうになるぐらい感動しました。ここに彼は通ってたんだなと思うと。シリコンバレー、起業家同士がつながってるって聞くんですけど、あんなにぽつんぽつんと1軒1軒離れていて、こういうところで、なんで活発なコミュニケーションが起きるのかなとは思いました」

アップルに勤めているひとには会いましたか。

「会いました。細井さん。ジョブズってどういう人だったのかを聞いて。細井さんが言うには『ものすごい嫌な人だったよ』(笑)。なんであんなにすごいんですかって聞いたら、『すごいというか、ただほんとに狂っていて、でも才能があって、それを人に褒められてああなっただけだよ』って言ってて。なのになぜ、人はついていってるのかと訊いたら『彼には明確にほしいものが見えていたからだ』と」

今の細井さんの話はひじょうに大事だと思います。ジョブズはほんとうにほしいものが何かわかっていた。これを持てるかどうかは、起業家になるかどうかの大きな線引きのように思います。それは菅野さんにありますか。

「ものすごく強いと思います。自分は、競争心というか、1番になりたいとか、すごいことをしたいという思いがすごく強いんです。原点は幼稚園生のころ、先生が母親に『英那くんはこの幼稚園のボスですよ』みたいなことを言っていて、それを聞いたときから、自分は大人になってもそういうことがしたいんだと思って。あと、ちっちゃいときモトクロスやってたんです。親が離婚するまでやってたんですよ。何回か表彰台に上ったこともあって。やめていなかったらプロを目指していたと思います。そこでレースとか競争が好きになっていったんだと思います。できないってわかったときには、ほんとうに何日も泣いたぐらい悔しくて」

菅野さんには勝利することへの快感がある。しかし、すべてのことに勝利できるわけではない。その現実を、菅野英那という勝利好きの人間は、どう処理しているんですか。