高田氏は「みんなの成果」と言うけれど…
高田氏は広島大学で金属の研究をしたが、学生時代から東北大学の金属材料研究所の研究者らの薫陶を受けたという。東北大の金属材料研究所はKS鋼を発明した本多光太郎が初代所長である。本多は「産業は学問の道場なり」と言い、100年以上前から産業界との連携を深めた人物だった。
「産業界を巻き込んでパートナーとなり、放射光施設をつくるという今回の考え方も東北大学には受け入れられやすかったんじゃないかと思います」と高田氏は振り返る。
だがまず東日本大震災直後にアイデアを生み出し、そのアイデアを多くのステークホルダーを巻き込み具体的な構想に仕上げた高田氏の存在がなければ何事も始まっていない。
しかも復興予算の投入が見送られ、みんなが諦めかけた時に、「これから面白くなる」と新たな道を探り始めた高田氏がいなければ、おそらくナノテラスは今年4月の稼働に辿り着いていなかっただろう。
なぜナノテラスは成功したのか。高田氏に最後に問いかけた。
「みんながon time on budget(スケジュール通りに予算通りに)頑張ったから」と高田氏は「みんなの成果」を強調する。だがしかし、チームの中に高田氏のようにひたすらゴールに向けて突き進むクレージーな存在がいなくては危機を乗り越えられなかったに違いない。
改めてクレージーな存在について問いかけると「無茶苦茶なクレージーなことをやったのは私です」と高田氏はにやりと笑った。