プロジェクトの取り組み態勢が出来上がり、いよいよ本格的に動き出す段階が来たのだが、誰かが中心となってフルタイムで取り組まないとプロジェクトは前には進まない。白羽の矢が立ったのが、言い出しっぺであり、その後も中心的に動いてきた高田氏だった。

2015年1月、高田氏に東北大学から多元物質科学研究所の教授として放射光施設のプロジェクトを進めてほしいと声がかかった。高田氏は理化学研究所を退職し、4月に東北大学に移ったが、周りからは反対された。このプロジェクトは推進協議会がつくった構想があるだけで、国の関与も何も決まっていない段階だった。しかし高田氏は「日本のためにはやらねばならない」と腹を括った。

高田氏
写真提供=東北大学
高田教授は2016年12月から光科学イノベーションセンター理事長も兼ねる。

「総事業費400億円」という高い壁

ところが2015年6月、プロジェクトは暗転する。推進協議会が進めようとする構想は放射光施設を建設し、そこに産業集積を生みだし、新たなリサーチパークをつくるというものだ。それは大震災の被災地を元に戻す復旧・復興というよりも、全く新しいコンセプトでイノベーションの拠点を創り出すというものである。そんなプロジェクトに復興予算を投入するわけにはいかないというのが国の判断だった。

国の復興予算が頼れないとなれば約400億円の総事業費の捻出が振り出しに戻ってしまう。突然、ハシゴが外された形で、多くの関係者は「もう諦めるしかない」と考えたようだ。2カ月前に東北大学に赴任していた高田氏は東北大学に招いてくれた理事らから「申し訳ない」と謝られたという。

これに対し、高田氏まったく違う受け止め方をしていた。

「国が金を出さないとなれば、新しい考え方に変えていくしかない。国丸抱えだとスプリング8と同じような形になる。むしろこれからが面白くなる」

高田氏を近くで見ていた東北大学の渡邉真史特任教授は「高田先生は本当にまずいと思って落ち込まれるのは30分以内です。30分のうちに腹を括られる。そして新しい方向に動き出されます」と話す。

そんなポジティブな考え方から生まれたのが「コアリション(有志連合)」という考え方だった。大学、自治体、産業界がそれぞれにお金を出し、官民地域パートナーシップのもとに施設を運営するという考え方である。まずは産業界への働きかけを強めなくてはならなかった。