2000社以上を訪問し、説明して回った
2016年3月末に企業向け説明会を仙台と東京で開き、放射光施設の構想を説明し、資金拠出を伴う参画を促した。高田氏はこれ以降、企業を個別に訪問し、構想を説明し、訪問した企業にとってどんな効用があるかを伝えていった。
高田氏が訪問した企業数は延べ2000社を超えた。1日4社回っても500日を要する数である。大企業だけではなく宮城県の中小企業にも「押しかけていきました」。
プレゼン資料は企業ごとにすべて違うものを持参した。食品メーカーならどんな食品をつくっているのか、その商品開発に放射光施設はどのように貢献するかを事前に調べ上げ、資料に書き込んだ。そんな資料を千何百社分もつくるのだから相当な労苦があったろう。
その結果、1口5000万円の加入金を払ってコアリションメンバー(ナノテラスを年間200時間使う使用権が10年間得られる)となった企業、大学、国立研究開発法人は150を超えた。企業名の多くは非公表だが、公表している企業には冒頭に紹介した住友ゴム工業やメニコン、ニチアスのほかアイリスオーヤマ、中外製薬などがある。
地域パートナーの宮城県、仙台市、東北大学、東北経済団体連合会とコアリションメンバーとで約180億円を供出する枠組みが出来上がった。2018年1月には国の科学技術予算から約200億円が投じられることが決まり、全体の枠組みが固まった。
2015年6月に復興予算を投じる枠組みが頓挫してから2年半が経ち、まったく別の形で放射光施設の建設が本決まりとなった。
東北大に受け継がれるDNA
大震災という危機の中で生まれたアイデアが一旦は風前の灯となったが、自治体などの地域負担と企業負担をかき集め、なんとか息を吹き返したのがナノテラスのプロジェクトだった。そのストーリーは、実は1907年に第3の帝国大学として創立された東北帝国大学の姿と重なり合う。
1905年に日露戦争が終わり、日本の財政事情は厳しさが増していた。東京帝国大学、京都帝国大学に次いで第3の帝国大学設立の動きが仙台と福岡で起きていた。だが国にはお金がない。東北帝国大学が九州帝国大学を抑えて1907年に第3の帝国大学になったのは古河財閥の寄付26万円と宮城県の寄付15万円、合計41万円を地域と経済界からかき集めたからだ。大学の建設費、設備費など創立時の費用には国費を投入せずに創立したのが東北帝国大学だった。
国が金を出せないなら、地元自治体と経済界でなんとか工面するというDNAが創立時から今に続いているのかもしれない。高田氏は「それも何かの縁だったと思います」と言う。