「知らなかった」で済ませる学校をゼロにする
・学校、先生側
職員室にあっては、先生同士が協力し、歪み合っていてはいけない。クラスにあっては「いじめは絶対に許さない!」という気迫で、生徒の前に立つことが必須だ。ブッダは弟子たちに法を説く際の姿勢を「獅子吼」せよ、と示した。まさにライオンが吼えるがごとく、法を説けと言うのだ。
問題が起きてからでは遅い。ダメなことはダメ! それをリーダーである先生が常日頃から、毅然とした態度で示すことが、子どもたちを守ることにつながる。
私自身、学校の運営や空手道場での指導を通じて、20年以上、先生たち、子どもたち、そして保護者と関わってきた。
特に空手道場には、いじめっ子といじめられっ子が共存していた。いじめられっ子はどんなに庇っても、慰めても強くはならない。けれども、どんないじめられっ子も、体力と技術が身につけば、自然と自信をつけて強くなる。
学校は受験のための知識やスポーツで勝つことを教える場所である前に、「人間育成」の場として、明るく強かな人間を育てる場所のはずだ。
「いじめる子」「いじめられる子」それを「知らなかった」と弁明する学校現場が増えているとしたら、従来のままの延長で良いはずがない。本気で「いじめ」を無くすつもりならば、学校を根底から見直す必要があるのではないだろうか。