集団にとっての「最大の脅威」は内部にいる

どういうことか。

ヒトは外敵から身を守り、種を存続させるために、ピンではなく集団で生きることを選んだ。

しかし集団にとっての本当の脅威は、敵ではなかった。

敵は確かに危険な存在ではあるが、脅威であるがゆえに共同体をまとめ、仲間の協力体制を強めてくれる存在でもあるからだ。

では集団にとっての最大の脅威とは何か。それは、内部にいて集団の和を乱す存在だった。

集団を維持するためには、互いに労働や時間、物、お金、情報といった資源を提供しなければならない。だから多くの人は「他人のために役立とう」「社会に貢献しよう」と行動する。

ところが人が複数人集まれば、中には協力的でない人がいる。ズルい人がいる。邪魔をしたり他人の足を引っ張ったりする人がいる。集団になると、自己犠牲は一切払わず、棚からぼた餅で利益を得ようとする輩が一人、二人は出てくるのだ。

これを野放しにしてはいけない。その厚かましい輩を見て、自己が犠牲を払うことは損だと考える者が増えれば、集団が機能しなくなってしまうからだ。

ほかとは違う人が「いじめられる側」に

そこで、身勝手な人を見つけて制裁を加えたり、排除する必要が出てくる。この排他的行動をサンクションと呼ぶそうだが、あまりにこの仲間意識が高まりすぎると、排他的な行動も過剰になる危険性があるという。

自分たちの常識とは違う異質な性質を排除しようとして、さまざまな差別が起きたり、体が小さい、動きが遅い、太っている、痩せすぎている、目の色が違う、ちょっと生意気、普通より可愛らしい……こういった周囲と違った性質を持つ人に向けて、サンクションが発動してしまうのだ。

中野氏は、「これを過剰な制裁(オーバーサンクション)」と言います。この現象は学校以外でも会社といった組織でも起こりうることです。そして、これが「いじめ」が発生してしまう根源にあるメカニズムなのです」と指摘する。

いずれにせよ、いじめは本能に基づくものだから、誰もがいじめる側にも、いじめられる側にもなる可能性がある。無くそうと思って簡単に無くなるものではない。

しかも年々いじめが増え続けているということは、現代社会のあり方、学校のあり方を根本的に見直す必要があるのではないだろうか。