なぜ提携先が「温泉地の近く」ばかりなのか
昭和30年代は女性進出が世間で注目され始めた時代である。下田に負けず、これまで主力を担っていた女性たちも益々活躍の場を広げていった。
生産拡大のためには、各地に提携会社や提携工場を増やしていくことが重要になる。その選定という大事な仕事を担っていたのが渡辺あさ野だった。
渡辺が候補を決めると幸一が現地へ確認に出向く。彼女が選んだ会社や工場にだめ出しをしたことは一度もなく、見事な仕事ぶりに感心した。
「それにしても、お前が決めてくる先は温泉の近くが多いなぁ」
と冗談を言って笑っていたが、そこには幸一の考えも及ばない深謀遠慮があったのだ。
渡辺が選定を任されたのは、当然のことながら提携候補先の縫製技術をチェックしてもらう狙いからであったが、工場を増設する際に重要になってくるのは土地が安いことだ。すると田舎になるが、働きに来てくれる縫製工を集められる場所でなくてはならない。そう考えるうち、自然と地方の温泉地の近くになっていったというわけだ。
やがてそのことに気づかされた幸一は、冗談を言っていた自分を恥じた。そして彼女を早い時期にスカウトできた幸運をあらためて噛みしめ、心の中で手を合わせた。
仕事ができる人間こそがえらい
提携先を選定してからも、渡辺は定期的に技術指導に赴いた。
トリーカという提携会社が岡山県津山市にブラジャー工場を作る際、渡辺が最初に行った指導は、
「ご飯粒を落としても、拾って食べられるぐらいきれいに掃除してください」
というものだった。
ミリ単位の精度はクリーンルームのような清潔な工場からしか生まれない。そのことを渡辺は知っていたのだ。清潔な職場だと働く者のモラルも上がる。
厳しい指導の甲斐あって、その後、工場は順調な立ち上がりをみせ、渡辺に恩を感じた社長は後年、彼女の自宅まで訪れて感謝したという。
幸一の全幅の信頼を得て、後々まで渡辺あさ野は、いい意味で社内に君臨した。
人事権を握ることで力を行使する並のサラリーマンとは違う。創業期からこの会社を支えてきたレジェンドとしてのオーラと技術の高さでリーダーシップを発揮し続けたのだ。
彼女が技術課長に就任した時、すでにワコールは大会社になっていたが、役員だろうがなんだろうが電話一本で呼び出した。
呼ばれた方の部長や役員は、彼女の前に来ると直立不動だ。
呼び出した本人は椅子から立つそぶりも見せずに指示を出し、多くの場合は大声で叱り飛ばすというのが日常茶飯事だったという。
性別など関係ない。肩書きすらも関係ない。仕事ができる人間こそがえらいことを、彼女はその存在で証明し続けたのである。