圧倒的「強者」だった男性が「弱者」に転がり落ちてきた

最大の変化として、2000年代の小泉純一郎首相のときに派遣法が改正され、非正規雇用がどっと増えたことがある。いまや働いている人の4割が非正規雇用である。正社員はだんだんマジョリティではなくなってきている。

さらに正社員であっても、平成不況の30年のあいだにコスト削減と人員削減のあおりを受けて仕事はきつくなり、労働時間も増え、ブラック労働の問題も大きくクローズアップされるようになった。終身雇用は事実上崩壊し、いつ会社が潰れるのか、いつ自分が失業するのかわからないという不安を、非正規の人だけでなく正社員の多くも感じるようになっている。

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つまり圧倒的な強者だったはずの男性が、平成のあいだに弱者に転落してきているのである。「家父長」という古いことばもあるように、昭和の頃までは男性は家庭でいちばん偉い人だった。会社や組織には、偉そうにいばっている中年の男はたくさんいた。いまでもそういう人がいなくなったわけではないが、多くの男性が結婚もできず、非正規で働き、正社員であっても日々抑圧されて、弱者に転落している。

「総中流社会」もすっかり崩壊し、格差が広まり、富める者と貧しき者の上下の分断が進んでいる。年収200万円以下の貧しき中年男性が、どうして強者やマジョリティになれるというのだろうか。

「総弱者社会」の到来

さて、このように前世紀とくらべると社会構造が大きく変化したのにもかかわらず、マスコミはいまも「マイノリティの目線で社会を見よ」という古い姿勢を引きずってしまっている。

LGBTや障がい者への差別がなくなったわけではないのはもちろんだが、「差別される弱者」は一部の人たちだけではなくなったことが大きな変化なのである。LGBTや障がい者だけが弱者なのではなく、社会のあらゆる層が弱者化していくという「総弱者社会」が到来しているのである。

この「総弱者社会」では、だれが弱者になっていてもおかしくない。しかし、もし全員が弱者になってしまったら、いったいだれが弱者を守ってくれるのか?