「非行に走らずにすんだ少年」もいる
非行少年が受けてきた被害に対して、私たちはどのように向き合うべきでしょうか?
もちろん、虐待、いじめ、体罰、行政機関の不作為などによりもたらされた被害を受けたとしても、非行に走らずにすんだ少年達もいます。
被害を受けながらも、ちゃんと成長して立派な大人になった者もいるのだから、非行に走った少年が受けてきた被害を無視しても問題はないとも言えそうです。
しかし、非行少年が受けてきたさまざまな被害を無視することははたして妥当なのでしょうか?
「たまたま恵まれていただけ」の可能性
たしかに、被害を受けても非行に走らずに大人になり、その後も犯罪と無縁の生活を送る人もいます。しかし、そのような人は、そもそも体力や知力といった能力、さらには被害を埋め合わせてくれる親や周囲の人々に恵まれ、あるいは、さまざまな支援制度の恩恵にあずかったから、非行に走らずにすんだだけなのではないでしょうか?
残念なことに、さまざまな被害を受けた少年たちの中で、非行に走った少年と、非行に走らずにすんだ少年との間に、そのような能力、周囲の人々や制度による支援の違いがあったかどうかについてのデータや研究はいまだに公表されていません。
したがって、上で述べたことは仮説に過ぎません。
しかし、仮に、さまざまな被害を受けて非行に走った少年には、その被害を埋め合わせるような支援などが十分でなかったということが真実だとしたら、どうでしょうか?