周囲の支援が将来を決める
そもそも、被害を受けた少年に能力があったとしても、それを開花させてくれる素敵な人々との出会いなくしては、埋もれたままになってしまうのも事実です。
すると、被害を受けた少年にとって大事なことは、能力の有無というよりも、おそらくは誰にでも潜在している能力を開花させてくれる人との出会いと、その後の指導や教育に恵まれることだと言わなければなりません。
つまり、少年が受けてきたさまざまな被害を埋め合わせるほどの支援が少年の周囲の人々や行政などから提供されるかどうかが、被害を受けた少年の将来を決めることになるのです。
救済されない虐待被害がたくさんある
虐待被害などは、そもそも犯罪被害に当てはまるものです。
犯罪被害を受けたのに、何もその救済がなされないで放置されることは、その3条に、「すべて犯罪被害者等は、個人の尊厳が重んぜられ、その尊厳にふさわしい処遇を保障される権利を有する」と定められている犯罪被害者等基本法、さらには犯罪被害者にも幸福追求権や生存権を保障している日本国憲法に照らして適切なことと言えるのでしょうか?
それ以前に、そもそも犯罪被害を受けたのに、その被害の救済がなされずに放置されることは不正義ではないでしょうか?
もちろん上で挙げた被害の中には、厳密に言えば、犯罪被害とまでは言えないものも含まれています。しかし、そうした被害を受けた少年を放置した上で、非行や犯罪に走ったのは少年の自己責任だとして厳しい処罰や処分を科すだけで良いのでしょうか?
私たちには、こうした被害にどのように向き合うべきかが問われているのです。