フーシェにとって権力とは目的だった。彼のジャコバン党員に対する取り扱いを評した言葉に「ネズミ捕りをする必要のなくなったネズミ捕りはお払い箱になる」というものがある。ネズミは捕まえなくてはならないが、捕り尽くしてしまったらネズミ捕り=フーシェ自身は必要とされなくなる。だから、捕り尽くしてしまってはならない、というのが彼の権力に対する考え方だった。

一方、タレイランにとって「権力」とは手段だった。フランスのために、ヨーロッパのためにという理想を掲げ、権力とはその理想を実現するための道具にすぎない。目の前の現象だけを追えば、両者ともその時々の権力にわが身を合わせていくが、タレイランの行動の根底には常にヨーロッパ世界の現状保全があった。強い独裁者の登場によってヨーロッパの現状が変えられてしまわないようにするためにこそ、彼は常に権力の中枢に居続けようとし、様々な権謀術数も駆使していったわけだ。

タレイランは「外交は恋愛である」と語っている。外交には高度な知性が必要とされるが、最後は信義と誠実がなければならない。彼の決して譲らなかった姿勢だろう。

その後、国鉄の本社で政財界の人々と付き合いながら、様々な改革を実現していくこととなった私は、30代になったばかりの頃に読んだ評伝のタレイランの生涯に強く共感し、フーシェのそれを反面教師として意識していくようになった。

2冊ともフランス革命の時期に活躍した政治家の評伝。著者のダフ・クーパーは、第二次世界大戦末期の駐仏大使などを歴任したイギリス保守党の政治家。
タレイラン評伝』ダフ・クーパー著/曽村保信訳/1979年/中公文庫
ジョゼフ・フーシェ ある政治的人間の肖像』シュテファン・ツワイク著/高橋禎二、秋山英夫訳/1979年/岩波書店

思い出すのは、国鉄民営化のために力を尽くしていた頃のことだ。政府と国鉄は経営崩壊後も、公社制度の維持や漸進的改革の案にしがみついていた。とりわけ政府はときに分割民営化案を駆け引きとしてちらつかせ、経営陣への責任転嫁を行おうとしていた。私たちはそれを逆手にとって、政府・国鉄の再建計画案を否定し、分割民営化を自分たちから本気で提起した。すると世論の支持が私たちに集まり、攻守が逆転する。それは――スケールこそ全く異なるものの――いま思えば自己否定の中に活路を求めるウィーン会議でのタレイランの手法がヒントになっている。

権力を持ち始め、何かを決定する立場になるにつれて、人はその判断について大きな責任を持たなければならなくなる。そのときに自分の「出世」や「立場」をいかに保つかと考えるのではなく、自らにとっての合理性と正統性の物差しをはっきりと持つこと。その一点が常に動かなければ、たとえ多くの人たちに反対されても判断が揺らがずにすむ。