破綻で地獄を見たJAL社員たち。大震災の大逆風の中、2011年度上半期は1061億円の営業利益を達成し、大復活を果たした。破綻から再生へ。稲盛イズムは、JALの何を変えたのか。
2011年、10月21日、日本航空(JAL)社長の大西賢(まさる)は、岡山の地に降り立った。11月1日には、ライバル全日空(ANA)が、話題の最新鋭機ボーイング787を、岡山線に初就航させた。JALはその対抗の意味もあり、岡山便を増便した。大西が岡山を訪れた目的は、増便の宣伝を兼ねた自治体へのあいさつ回りだが、地元の旅行代理店、さらには岡山空港の整備部門も訪れた。大西は10年暮れから11年の5月にかけて、すべての国内拠点(36カ所)を回った。岡山は11年で2度目だ。大西が地元の旅行代理店である両備ツアーズを去った後、同社常務の小童谷(ひじや)靖則に「JAL破綻前と破綻後の違い」について聞いた。
「友好関係は変わらないのですが、リクエストに具体的な数字が入るようになりました。以前は『がんばりましょう』で済んでいましたから。営業活動へのやる気をうまく引き出してくれます」
小童谷もJALの変化に、確かな手ごたえを感じ取っているようだ。周知のように、かつて日本のフラッグシップだったJALは、10年1月19日に会社更生法を申請して実質的に倒産した。だが、再建初年度に当たる10年度の営業利益は、更生計画の641億円を、1243億円も上回る1884億円を達成した。
東日本大震災という逆風が吹き荒れた今年度上期も、1061億円の営業利益を計上。今年度の営業利益目標757億円を、1400億円に引き上げた。売り上げこそANAに首位の座を奪われ、実際の実力とは言えない会計上の利益が10年度で約780億円、この上期で230億円あるものの、営業利益は560億円も上回る。世界的な先行き不安をものともせず、12年度中の再上場も射程に入ってきた。
驚異的なスピードで進むJALの再建は、なにゆえ可能になったのだろうか。
まずは、ビジネスモデルの劇的な変化だろう。需要の大きい時期(7~9月期)の売り逃しを覚悟のうえで、座席数の大きい航空機を中心に処分したことで、通年での黒字体質を確保した。大西が言う「不況期に強く、好況期に弱い」経営体質に変わったのだ。そして、企業の本質的な部分での改革は、この人が断行した。更生法申請から10日あまり後の2月1日に、JAL再建の切り札として、企業再生支援機構から要請され、会長に就任した稲盛和夫である。京セラを創業し、一代にして大会社に育て上げた手腕を買われたのだ。