『タレイラン評伝』と『ジョゼフ・フーシェ』という2冊の評伝に出合ったのは、30代になったばかりの頃だった。
20代後半でアメリカに留学した私は、地方の鉄道管理局に2年間勤めた後、国鉄の東京本社経営計画室の主任部員として戻ってきた。今後の国鉄全体の方向性はどのようにあるべきか――その命題を考える末端の作業部隊の指揮官として働きながら、一方でその時期の私はこれからも国鉄に勤め続けるかどうかを悩んでいた。そんなときに手に取ったこの2冊の評伝は、若い自分に大きな感銘を与えることになったのである。
18~19世紀のフランスを生きたタレイランとフーシェは、極めて共通点の多い人物だった。
2人とも“政治的カメレオン”とさえ評され、フランス革命からナポレオン帝政、そして王政復古と、一貫して権力の陽の当たる場所に居続けた。ここで挙げた両書は、抽象的な論考ではなく、日記や手紙、そのときに居合わせた人々の証言をすくい取りながら、激動の時代を生き抜いていく2人の人物像を、非常にリアルに描き出した評伝になっている。
当時、2冊をじっくりと読んだことを覚えている。国鉄の予算や長期経営計画はすべて政治的な問題であったため、国会が夕方から夜にかけて続くような日は、資料づくりや国会議員への答弁書づくりなどに備えて、夜遅くまで待機しなければならない。私はその間に少しでも読書をしようと考えた。まだ人生の方向性が定まっていない若い頃は、あらゆることが自らの人生に関わりがあると思うものだ。だからこそ国鉄の資料や娯楽のための本を読む以上に、このような迫力のある評伝の世界に強く惹かれたのだろう。
そうして『タレイラン評伝』と『ジョゼフ・フーシェ』を続けて読んで強く抱いたのは、2人の人物の一生にはまさしく「人間学」の極致ともいえるものが凝縮されている、という感想だった。