人間関係の訓練をしている日本の学校

なぜ日本では「学校=友だち」になってしまうのか。それには理由がある。

親しい友だちかどうかは、ある程度顔を合わせる時間や回数で決まってしまうものだ。

その後の人生に比べれば学校時代は、ずいぶんたくさんの人間が、よかれ悪しかれ強く心に焼きついていた。

まず授業以外に中学、高校では部活動がある。運動会や文化祭、合唱コンクール、遠足、修学旅行といった年中行事がある。クラスには、掃除当番、給食当番があり、班、係などの日々の活動がある。

こんなに人と一緒に何かやっていたら、近く感じる人が増えるのは当たり前のことだ。

けれども授業でもないこうした活動は、考えてみれば奇妙だ。これらは“特別活動”と呼ばれていて、世界でも珍しい活動なのだ。「日本式教育」「海外では一般的に行われていない」と教育関係者は自画自賛している。

あるドイツ人の女性と話す機会があったので、そちらには部活はあるのかと聞いてみた。彼女によれば部活はなく、放課後になったらみんな帰るそうだ。それだけのことにすっかり感心したのを憶えている。毎日の印象がどれだけ違うことだろう。

文科省が発表している特別活動の目標をネットで見てみると、「望ましい人間関係を形成する」と何度も何度も書かれていてうんざりしてしまった。

我々は学校で、人間関係の訓練をさせられていたのだった。

放課後どころか、場合によっては土日、授業前の朝まで練習をしていたら、学校にいる時間が長すぎて、半分寄宿制の学校に入っているようなものだ。もちろんそこには、しつけの意味もあるだろう。

自分が開いている「不適応者の居場所」には、いつも30~40人ほどの人が集まる。ちょうどひとクラス分くらいの人数だ。この集まりで何か共同作業でも頻繁にやれば、もっとたくさんの人と近くなれるだろう。

けれども近すぎるがゆえの摩擦も同時に増えていく。そうまでして何かをやったほうがいいとは思えない。

大勢の世界から逃げ出す子どもたち

今日本では、通信制の高校が何かと注目を集める。学校の数は急激に伸びていて、生徒数も増えている。通信制では週一日程度の登校日以外は、自宅で勉強するのだ。

また、家庭で独自に勉強をするホームスクーリングをしている子どもも増えていると言われる。ホームスクーリングは日本では正式には認められていないけれども、アメリカ、イギリス、カナダなどでは教育として公認されている。

鶴見済『人間関係を半分降りる 気楽なつながりの作り方』(筑摩書房)

またフリースクールに通う子どもや、不登校の子どものための居場所も増えている。

こうした動向を見ると、それ見ろと思ってしまう。

大勢でワーッと騒いでいる世界から逃げたい子どももたくさんいたのだ。

「大勢でワーッ」という写真を見て、「ああうらやましいな」と思う気持ちはいつまでもなくならないだろう。自分などこの年齢になっても、しかも自分でもそこそこ大きな集まりをやっているのに、やはりそう思うのだから呆れてしまう。

だからと言って、そのためだけに友だちの数を増やそうとしたり、わざわざ集まって集合写真を撮って、SNSにあげたりするのはやめにしたい。

なぜなら、そういうことをするのは美しくないから。単に自分の美意識からそう思う。

※1「世界青年意識調査」第8回(2008年)、第9回(2013年)、内閣府

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