幸せな家庭像はいつの時代も変わらないのか。フリーライターの鶴見済さんは「日本では夫婦二人で暮らしていると、『子供こそ幸せ』という同調圧力を受ける場面が多い。しかし、私は『子どもさえいれば幸せになれた』と思ったことがない。日本で食卓を囲んで一家団欒をしていたのは、1955年から1975年の20年間くらいと限られた期間のことだ」という――。

※本稿は、鶴見済『人間関係を半分降りる 気楽なつながりの作り方』(筑摩書房)の一部を再編集したものです。

親と子が手をつないで、日当たりの良い緑地を歩く
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「子どもさえいれば幸せになれた」は正しいのか

このことは初めて公にするのだが、自分には同居しているパートナーがいる。

同居はもう20年近く続いていて、10年目くらいの時に、やむを得ない事情で結婚の届けを出すことになった。やりたくてやったわけではないので、結婚したとは言いたくない。「届けは出した」と言っておきたい。

男女二人で暮らしていると、「子どもがいない」ということを、まわりからだけでなく自分たちでもより強く意識せざるをえない。

それでも自分は、子どもが欲しいとは思わない。できたらそれでもいいけれども、できないほうがありがたいと思ってきた。

「子どもさえいれば幸せになれたのに」と思ったことがない。

育った家庭のせいで、自分は子どもに対する幻想を持てないのかもしれない。

分別のついた大人どうしでさえ、ぶつかって嫌になることばかりなのだ。子ども相手でそれが起きないわけがない。もう自分の家庭で味わったような思いはしたくない。

父親としてやらなければいけないたくさんのことの代わりに、自分はこの人生で、本当に心からやりたいことをしたい。

まずはそんな人間もいるのかと思ってほしい。そして、それもそうだなと気を和らげてもらえたらもっとうれしい。