「母と子は一体」は大正時代から
家族のなかでも、というよりすべての人間関係のなかでも、母親と小さな子どもの間の愛ほど絶対視されているものはない。これはどこから来たのだろう。
母と子の愛は、大昔からこんなふうに持ち上げられていたわけではない。そもそも子どもは江戸時代まで労働力と見なされていて、今のように愛情を注ぐ対象とされていなかったのだ。これはもちろん、かつての欧米でも同じだった。
母と子は一体であるといった価値観は、大正時代になってようやく大々的に宣伝されはじめたことだった。
この頃、乳児死亡率の高さが問題になって、母親に子どもを責任を持って育てさせようという気運が高まった。“母性”という言葉は、ここで初めて大きく持ち出された(※5)。
つまりもともとは、子を愛せと上から指図をするための言葉だったのだ。
このせいで大正時代には、江戸時代には少なかった母子心中が急増してしまった。母親が子育ての負担をひとりで引き受けねばならなくなったのも、この時からの流れだ。
家庭のイメージと言えば、食卓を囲む一家団欒の図だが、これもなにかおかしい。
実は、日本で食卓を囲んで一家団欒をしていたのは、1955年から1975年の20年間くらいのことだそうだ。特に70年代は9割もの家庭が食卓を囲んでいた(※6)。
70年代とは結婚率や登校率など、様々なものがピークを迎えた特殊な時代だったのだ。
上から押しつけられた「一家団欒」
自分の家庭では、夕食はテレビを見ながらとっていたので、何か話をしていた記憶はない。けんかをしている時は、早く食べ終わって自分の部屋に行きたいとしか思わなかった。そんな食卓だったので、一家団欒からはほど遠かった。
しかも少し話はずれるが、小学校高学年から中学の頃は、父親が不潔に思えてしかたがなかった。食卓では隣に父親が座っているので、食事をしながら掘りごたつのなかで父親と足が触れ合わないようにいつも気をつけていた。
触れてしまうと嫌な気持ちになるので、食べ終わった後で形だけでも足を何かで拭いたりした。
別に不潔恐怖症だったわけではない。父親を不潔に感じるのは、このくらいの年齢ではよくあることと言われる。父親の下着を一緒に洗濯してほしくない娘の話をよく聞く。
もちろん親は何も悪くない。親子であっても、生理的な嫌悪感を持つこともあるのだ。
では家庭の団欒のああしたイメージは、いつから世に溢れかえったのだろう。
実は一家団欒もまた、古くからあったものではない。これも明治時代になって教科書や雑誌に載りだしたもので、もともと欧米の影響で上から押しつけられたと言っていい。
明治以降も戦前まで、家族でそろって食事をする機会は多くなかった。しかも黙って食べるのがマナーとされていたので、今我々が想像する団欒からはほど遠かったようだ。戦前まではずっとそんな調子だったそうだ。